2007年6月2日土曜日

英国の庭園史

6月になりました。 英国では一番いい季節です。
今月はガーデン・ツアーがあるので、英国の庭について書いていきたいと思っています。まずは、英国庭園史から。

ローマ時代
英国で本格的にガーデンが造られたのはローマ植民地時代からです。発掘・復元されているローマ式庭園の特徴は、階段状のテラス・ガーデンです。

中世
修道院の中庭で、薬草園と菜園が発達しました。厚い城壁や堀に囲まれた中世の城の中にも、畑や花壇がありました。このころの城内庭園は、幾何学模様の花壇が主流です。

チューダー王朝時代
ヘンリー8世の時代、王権が強化され、内戦がなくなると、貴族の邸宅から城壁と堀は消えていきました。ルネッサンスのイタリアの影響を受け、左右対称の整形式庭園が流行しました。ノット・ガーデンと呼ばれる結び花壇、樹木を刈りあげるトピアリー、噴水が採り入れられています。

ジャコビアン王朝時代
海洋国家イギリスでは、プラントハンターと呼ばれる人々が活躍するようになり、アフリカやカリブ海諸国の珍しい植物が、次々とイギリスにもたらされました。チャールズ1世の庭師だったジョン・トラディスカント親子が特に有名です。学術的な植物園が誕生したのもこのころで、オックスフォード大学植物園、キュー・ガーデンズの薬草園などが創設されました。

フランス庭園様式
ジェームズ2世の時代にはフランス式整形庭園が積極的に造られます。ベルサイユ宮殿の影響を受け、中心軸から3本の軸線を設けて、左右対称形をした整形庭園がヨーロッパ各地で流行します。

オランダ庭園様式
オランダのオレニエ公ウイレムがイギリス国王ウイリアム3世として即位すると、オランダの造園手法が採り入れられるようになります。庭園に高低さをつけるサンクンガーデン、園内にはオランジェリー、カネル(運河)、庭園の鉄格子の門、ノットやトピアリーに常緑樹が盛んに使われるようになったのもオランダの影響でした。

風景式庭園様式
18 世紀になると、英国独自に発展した風景式庭園が現れます。ロランやプッサンなどの風景画(基本的にはイタリアの風景)に合わせて、敷地全体をデザインしました。丘、川、池、湖などが自然景観を意識しながら設計されています。直線を嫌い、曲線を用い、塀や囲いを排除し、遥か彼方まで見渡せるような造りにしました。ウイリアム・ケントや、ケーパビリティー・ブラウンが活躍しました。植物に関する研究もさらに活発となり、キュー・ガーデンが拡大されました。王立園芸協会が設立されたのもこのころです。

ヴィクトリア王朝時代
産業革命でブルジョア階級が台頭してきます。「ガーデネスク」な造園方法が人気を集め、植物それぞれの色彩や形を自然のまま受け入れようとする傾向が強まってきます。色彩を重視する自然観が主流となり、世界各国から集められた派手な色彩の草花が庭にあふれました。装飾花壇、幾何学模様の花壇、菜園などが復活しました。キュー・ガーデンなどにガラスの温室も造られ始めました。

コテージ・ガーデン
園芸雑誌の創刊などの影響で、中産階級の人々の趣味としての庭造りが人気を高めます。気取りがない、花や木は自然に生えているように見せたコテージ・ガーデンとよばれる田舎風の庭が造られ始めます。19世紀末頃から、園芸家ウィリアム・ロビンソンが「イギリスの花の庭」「ザ・ワイルド・ガーデン」などの本を出版し、もともと英国に咲いていた宿根草などを自然に植える自然なスタイルを確立しました。19世紀末から20世紀初頭にかけて、女性ガーデン・デザイナーのガートルード・ジーキルは、多年草を中心として、花や葉の色彩効果を考えて植栽する方法を広めました。その後現在まで、一般庶民も積極的に造園に加わり、田舎の小さなスペースを利用したコテージ・ガーデンは着実に普及しました。

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