2008年1月10日木曜日

イスラム教の新年

カレンダーを見ていたら、今日はイスラム教の新年(Islamic New Year)だと記してありました。イスラム暦では、今日から1429年だとか・・・。ヒジュラ暦と呼ばれるイスラムの暦は、ムハンマドがメッカからメディナへ移住した年(西暦622年)を紀元にしています。1年354日、一日の始まりは日没からで、月と季節は毎年ずれていきます。だからラマダンの時期も毎年ずれていくのです。

ついでに、イスラム教について、ちょっと書いておきます。

610年ごろ、ムハンマドがヒラ-山の洞窟で思索にふけっていると、突然、神の使いの声が聞こえました。ヒラ-山から逃げ戻ったムハンマドに、 妻ハディージャはその声の主が唯一絶対の神アッラーに使わされた大天使ガブリエルだと断言しました。妻に励まされたムハンマド゛はその後も洞窟で大天使の 声に耳を傾け続けました。「アッラーのみが唯一の神であり、アッラーの前ではすべての人間が平等だ」という言葉を完全に理解できるようになったころ、ムハ ンマドは預言者として生きることを決心しました。

啓 示から3年後にムハンマドは本格的な布教活動を始めます。メッカの人々が古来崇拝してきた神々と、町の繁栄を担ってきた支配者や商人を否定する教えは人々 に無視されましたが、それでも貧しいものたちを中心に彼の言葉に耳を傾ける者が現れました。信者の数が増えてくると、今度は暴力による迫害が始まりまし た。

622年ムハンマドは信者と迫害が続くメッカからメディナへ移住しました。メディナでは、最初のモスクを建造して、信者の共同体(ウンマ)を建設しました。当初の信者は150人ほどでしたが、部族間の内戦を収め、政治的手腕を発揮します。

624 年には戦闘的リーダーとしてメッカの軍隊と戦います(ジハード)。戦闘の間にムハンマドは周辺の土地を征服、630年にはムハンマドの軍隊は1万人の大軍 になり、ついにメッカも征服します。彼はメッカの人々にアッラーのみを崇拝することを誓わせ、カーバ神殿の中に神として奉られていた偶像をすべて破壊しま した。そしてメッカはイスラム教の聖地となりました。(現在カーバ神殿は黒い布で覆われ、中にはムハンマドが置いたといわれる黒い石がはめ込まれていま す。信者は一日5回、この神殿に向かって礼拝します。)

632年6月ムハンマドは亡くなります。預言者は死んだ場所に葬られるとの神の言葉に従い、ムハンマドの遺体はメディナに埋葬されました。現在その場所にはモスクが建てられています。

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