
ゴッホはプロバンス地方のアルルにに画家たちの共同アトリエをつくるという夢を持っていました。

この誘いに応じた唯一の友人がゴーギャンでした。

ゴーギャンがアルルに到着する前、ゴッホは自分の家を装飾するために、一連のひまわりの絵を描き始めました。

ゴッホは花が枯れてしまうまでに、全部で4枚の絵を仕上げましたが、そのうち2点にサインをしてゴーギャンの寝室の壁に掛けることにしました。

塗り重ねられて、盛り上がった質感が出ています。19世紀になって、新しく固く粘りのある絵の具が作られて、このような描き方が可能になりました。


しかしゴーギャンとの間には口論が絶えなくなり、ある夜ゴッホは剃刀を持ってゴーギャンの後を追い、ゴーギャンに睨み返されると、自室に戻って耳たぶを切り落として、馴染みの娼婦に届けています。事件の翌日、別れの言葉も告げずにゴーギャンはアルルを去りました。

翌年の1月、ゴッホはまったく同一の複製を3枚描きます。

この絵はオークションで59億円で落札されましたが、ゴッホの生前に売れた絵は「赤いブドウ畑」1枚だけ。ゴッホの死後絵が評価され始めたときも、「ひまわり」と「アイリス」は売れ残ったそうです。

弟のテオはそんな兄に送金を続けました。ゴッホにとって黄色は暖かさの象徴でした。

その後、ゴッホはアルルの病院に収容された後、サン・レミの精神病院に移されます。サン・レミの療養所で外出が許されるようになると、スケッチに出かけ糸杉のある風景の連作を描きます。糸杉は古来ヨーロッパで死の象徴として描かれてきました。1年後、パリの郊外にあるオーベールに移り、2ヵ月後ピストル自殺。村の共同墓地に弟のテオと並んで葬られています。
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