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1848年パリに生まれたゴーギャンは、1歳のときに家族でペルーに移住。7歳でフランスに帰国。17歳で見習い船員になり、世界各地を巡ります。23歳で株式仲買店のサラリーマンになって、25歳でデンマーク人と結婚。そのころから日曜画家として、絵を描くようになります。ピサロの勧めで印象派展に出品して評判がよかったことと、大恐慌のあおりで失業したこともあり、画家になります。
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絵はまったく売れず、妻は子供たちを連れてデンマークに帰ってしまいました。ブルターニュへと移り住み、ゴッホとアルルで共同生活もしました。1889年(41歳)のパリ万博で植民地各地のパビリオンを見て異国情緒たっぷりの趣向に夢中になり、暮らしに困窮していた彼はフランスを出ようと決心します。
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憧れの地タヒチに行ってみると、植民地化が進み、ヨーロッパ化した現地の人々に幻滅を味わいます。しかし失われた古代のタヒチのイメージを追い求めて、たくさんの絵を描きました。病気治療のために一回フランスに戻りますが、またタヒチへ戻り、53歳のときマルキーズ諸島へ移ります。熱帯の太陽の下で「雪のブルターニュの村」の絵を見ながら、55歳で亡くなります。
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