2010年12月2日木曜日

1941年のヨーロッパ

第一次世界大戦で敗れたドイツ帝国は、1918年に共和国として生まれ変わり、民主的なワイマール憲法が制定されます。しかしベルサイユ条約に よって植民地をすべて失い、多額の賠償金を負わされて国民の生活は苦しく、共和国政府に失望していました。

ヒッ トラーの率いる国家社会主義ドイツ労働党(ナチス)は、ドイツ民族の優秀性を説き、ベルサイユ条約反対を叫び、反資本主義的な政策を掲げて国民の心をひきつけ、共産党の勢力を恐れる大資本家にも支持されて1932年に第1党になります。1933年にナチスは国際連盟を脱退し、言論・思想の取り締まり、政党の禁止、労働運動の弾圧、ユダヤ人の迫害、軍備の拡大、ワイマール憲法もベルサイユ条約も無視して、ヒットラーの独裁政治が行われます。

オー ストリア、チェコ、スロバキアを侵略した後、1939年9月、空軍の援護の元に戦車・装甲車などを中心とする150万人の地上部隊がポーランドに進入し ます。ポーランドとの条約によりイギリスとフランスはドイツに宣戦布告。首都ワルシャワが陥落させたヒットラーは、 1940年にスカンジナビア侵攻を開始し、デンマーク、ノルウェーは占領され、オランダ、ベルギーも降伏します。1940年6月にはフランスも降伏。

こうしたヒットラーのヨーロッパ支配に対して、占領地の民衆は激しい抵抗運動(レジスタンス)を起こします。特にフランスのレジスタンスは有名でドイツ軍を散々苦しめました。

1944年6月6日、ノルマンジーの沖合いに5000隻の艦隊が姿を現し、アメリカ・イギリス連合軍の北フランス上陸作戦が始まりました。

ヒットラーはV1ロケットを持ってそれに対抗しました。V2ロケットは1944年9月8日に登場、1000発ロンドンに飛来し、2000人以上の死者を出しました。しかし、陸軍出身のヒットラーは空軍の力を軽視していたため、生産が遅れました。 

東西からじりじり攻め入る連合軍にドイツ軍は追い詰められ、1945年4月ソ連軍によって首都ベルリンは包囲されました。4月30日にヒットラーが自殺して、ドイツは無条件降伏します。

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