2011年10月2日日曜日

イギリス周遊ツアーで見るイギリス史

先月、イギリス周遊ツアーをガイドをして、面白い形でイギリスの歴史を話すことができました。

ストラットフォード(シェークスピアの生家)
16世紀後半~17世紀の手工業の時代
ウイリアム・シェークスピアは1564年に商家に生まれました。
手袋屋は手工業の見本。
余談ですが、そのころの食事にジャガイモはありません。
(ジャガイモ、とうもろこし、トマト、チリ、タバコはアメリカ原産)。

ストーク・オン・トレント(ウエッジウッド・ファクトリー)
18世紀の産業革命(手工業から大量生産へ)
ジョシュア・ウエッジウッドは1730年窯元の家に生まれました。
ウエッジウッドは研究心と時代を的確に認識する才能がありました。
高温測定の温度計の発明や、原料の粘土の化学的研究は
王立協会から本として出版されました。
ウエッジウッドの工場は労働者の病気の際の欠勤手当や退職金など、社会保障にまで気を配りました。(当時としては異例)。

ハワース(ブロンテ姉妹の育った牧師館)
19世紀の農村の暮らし
「嵐が丘」の作者、エミリー・ブロンテは1818年に牧師の娘として生まれました。ブロンテ姉妹は短命と言われていますが、実はハワース村では長生きした方なのです。当時は食糧事情も悪く、衛生環境もかなり悪かったので、ハワース村での平均寿命は24.6歳でした。子供の半分は用事(6歳未満)で死んでいったのでした。

ダヴ・コテージ(ウイリアム・ワーズワースの家)
19世紀に湖水地方の環境保護を訴える詩人
ワーズワースは1770年に湖水地方北部コッカマスの法律家の息子として生まれました。湖水地方の素晴らしさをうたった詩によって、自然と人は共存し、心を癒すものだと説きます。1810年に、ワーズワースは「湖水地方の手引き」というガイド本を出版し、湖水地方の美しい景観はさらに有名になり、1840年ごろから、その景観を求め都会からの人が訪れるようになります。

鉄道建設が盛んになり、計画にワーズワースは猛反対しますが、産業革命の洗礼を受け、利便性を求めていた当時の大衆の心には届きませんでした。結局、ワーズワースが反対していたケンダル~ウインダミア鉄道は、1847年に開通します。

そして、ワーズワース亡き後、その鉄道をウインダミアからアンブルサイドまで伸ばすという計画に反対したのは美術評論家のラスキンでした。ラスキン(1819~1900)は湖水地方に住み、環境破壊につながることは強く抗議しました。

ラスキンとローンズリー牧師(1850~1920)はオックスフォード大学で、美術教授と学生の間柄で、大学在学中にローンズリーはラスキンの社会運動に参加しました。ラスキンはローンズリーに社会活動家のオクタヴィア・ヒル(1838-1912)を紹介し、のちにナショナル・トラストを創立します。

ヒルトップ(ビアトリクス・ポッターのピーターラビット)
ナショナル・トラスト運動(1895年設立)
ビアトリクス・ポッターは1866年に法律家の娘としてロンドン・ケンジントンに生まれました。16歳で初めて湖水地方を訪れ、ローンズリー牧師に会います。39歳、ピーターラビットの印税でニア・ソーリー村の農場を買いますが、まだ本拠地はロンドンです。47歳で結婚し、本拠地を湖水地方に移します。結婚後は農場経営が忙しく、絵本を描かなくなります。77歳で亡くなり、彼女所有の土地と農場はナショナル・トラストに寄付されました。

セラフィールド核燃料処理施設
湖水地方沿岸部(20世紀後半~21世紀のエネルギー問題)
湖水地方のほとんどが国立公園で、その面積の4分の1がナショナル・トラスト所有の土地なのに・・・核燃料処理施設(+核兵器工場)が湖水地方にあるのは皮肉です。

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