聖ポール大聖堂の対岸にある
グローブ座に行ってきました。
最初のグローブ座は、1599年にシェークスピアの劇団である宮内大臣一座のために建設され、
シェイクスピアの名作の多くはグローブ座で公演されました。
1613年、公演中に舞台装置の大砲によってグローブ座の茅葺屋根に火がつき劇場は全焼し、
2番目のグローブ座が翌年同じ場所に建設されましたが、
1642年清教徒革命の影響により劇場が閉鎖され、
1644年には取り壊されてしまいました。
博物館に展示されている当時の料金入れ
当時のナッツの殻
これは何だったかな?
劇場ができる前は、ミドル・テンプル・ホールや
貴族の館や教会の庭に舞台を作りました。
当時のライバルであったローズ座。バラ園の跡地に作ったのでローズ座なのだそうです。
現在の劇場は、1949年にロンドンを訪れたアメリカ人の俳優・監督であるサム・ワナメーカーにより再建されました。
1970年にはグローブ座トラストとなる組織を設立し、劇場を完成させ、
シェイクスピア演劇を専門とする教育センターと展示場を作りました。
毎年4月から10月までシェイクスピアの作品と、近代作家による新しい劇を公演しています。
ここは貴賓席です。
5ポンドで入場できる土間の立見席には700人入ることができ、桟敷席には900人座れます。
茅葺屋根の上には、現代の消防法に基づきスプリンクラーが取り付けられています。
2012年11月30日金曜日
2012年11月29日木曜日
フローレンス・ナイチンゲール博物館
フローレンス・ナイチンゲール博物館に行ってきました。
ナイチンゲールは近代看護教育の生みの親です。
1820年、裕福な地主階級の両親がイタリア旅行中のフィレンツェで生まれたのでフローレンスと名付けられられました。幼少期はフランス語、ギリシャ語、イタリア語、ラテン語、哲学、数学、天文学、経済学、歴史、美術、音楽、絵画、文学など、最高の教育を受けましたが、貧しい農民の悲惨な生活を目の当たりにするうちに、将来は人々に奉仕する仕事に就きたいと考えるようになりました。
私たちが博物館を訪問した時、ちょうどナイチンゲールの扮装をした女性が子供たちに話を聞かせていました。
昔は看護婦は病人の世話をする召使として見られ、専門知識の必要がない職業と考えられていましたが、ナイチンゲールはイギリス各地の病院の状況を調べ、専門的教育を施した看護婦の必要性を訴えます。
1854年にクリミア戦争が勃発すると、ナイチンゲールはシスター24名、職業看護婦14名の計38名の女性を率いてトルコに向かい、後方基地の病院で働きました。その働きぶりから「クリミアの天使」とか「ランプの貴婦人」と呼ばれました。
博物館の中には他にもたくさん資料が展示されています。
1860年にナイチンゲール基金が45000ポンドに達すると、セント・トーマス・ホスピタル内に最初の看護学校が設立されます。その後、各地に看護婦養成学校が作られました。
ところで、国際赤十字本部がナイチンゲールの誕生日(5月12日)に国際看護師デーを制定したり、
傷病者や障害者または紛争や災害の犠牲者に対して偉大な勇気をもって献身的な活躍をした者や、 公衆衛生や看護教育の分野で顕著な活動あるいは創造的・先駆的貢献を果たした看護師に対してフローレンス・ナイチンゲール・メダルを贈ったりしていますが、
ナイチンゲール自身は、実際は赤十字の活動には関わっておらず、むしろボランティアによる救護団体の常時組織の設立には真っ向から反対していたのだそうです。現実のナイチンゲールはかなり気難しい人だったようです。
2012年11月28日水曜日
チェルシー・フットボール・クラブ
プレミア・リーグのチェルシー・フットボール・クラブ。
壁には選手の記念写真が・・・
右端の空いてる席にあなたも座れます。
ここにもスペースがあるし・・・
「一緒に写真を撮れば?」というファン・サービスです。
チェルシー・スタジアム正面から
右側に進んで行くと、
スタジアム・ツアーの集合場所や
ショップがあります。
選手の写真が飾られている壁沿いにもっと進むと、
選手も泊まるホテルがあります。
日本人団体ツアーも泊まるホテルです。
サッカー好きにはお薦め。
壁には選手の記念写真が・・・
右端の空いてる席にあなたも座れます。
ここにもスペースがあるし・・・
「一緒に写真を撮れば?」というファン・サービスです。
チェルシー・スタジアム正面から
右側に進んで行くと、
スタジアム・ツアーの集合場所や
ショップがあります。
選手の写真が飾られている壁沿いにもっと進むと、
選手も泊まるホテルがあります。
日本人団体ツアーも泊まるホテルです。
サッカー好きにはお薦め。
2012年11月27日火曜日
2階建てバスからの景色(リッチモンド・パークからキューガーデン)
秋晴れの日、
リッチモンド・パークからキューガーデンまで65番バスに乗りました。
2階建てバスの一番前の席は見晴らしがいいから大好き。
バス停から見たテームズ川。
終戦記念日の象徴であるポピーを作る工場はリッチモンドにあります。
上空はヒースローに向かう飛行機のルートです。
リッチモンドの中心部を
通り抜けると、
キューの町に入ります。
左側に
クリケット・グランドが見えたら、
次にパゴダの塔が見えてきます。
左にキューガーデンの壁、
右に素敵な住宅を見ながら進むと、
キューガーデンのメイン・ゲートに到着します。
リッチモンド・パークからキューガーデンまで65番バスに乗りました。
2階建てバスの一番前の席は見晴らしがいいから大好き。
バス停から見たテームズ川。
終戦記念日の象徴であるポピーを作る工場はリッチモンドにあります。
上空はヒースローに向かう飛行機のルートです。
リッチモンドの中心部を
通り抜けると、
キューの町に入ります。
左側に
クリケット・グランドが見えたら、
次にパゴダの塔が見えてきます。
左にキューガーデンの壁、
右に素敵な住宅を見ながら進むと、
キューガーデンのメイン・ゲートに到着します。