2016年3月21日月曜日

聖ポール大聖堂からオールド・ベイリーへ

ロンドンで一番大きく、一番古い聖ポール大聖堂。

大聖堂の屋根部分の破風に不死鳥の彫刻が見えます。不死鳥の下にはラテン語で「RESURGAM」と刻まれています。「私は甦る」という意味です。

大聖堂の北側にはパターノスター広場があります。「Pater Noster」はラテン語で「我らが父なる神」の意味になります。604年に建立されたこの大聖堂は各地からの参拝者で賑わい、周囲の参道には「パターノスター」と呼ばれる数珠状の祈り道具を販売する店がたくさんありました。15世紀の終わりに印刷技術が英国に広まると、今度は宗教関連の本が所狭しと並ぶ中世の本屋街になります。ところが1666年のロンドン大火で本屋街が焼失。その後に家畜の処理場となり、近くのスミスフィールド市場が19世紀にできるまで、ここがニューゲート肉市場として栄えます。「羊飼いと羊」の彫刻があるのもこうした背景があるからでしょう。第二次大戦の空爆後の復興。その後、日系不動産会社三菱地所の所有となり、現代的なオフィス広場に再開発されました。広場にそびえ立つ23メートルの柱は、ロンドン大火で焼失した旧聖ポール寺院の西口正面にあったコリント式の柱を再現したもので、炎のオブジェは、2度の大火(ロンドン大火と第二次大戦)による惨劇を忘れないためのものです。

広場の南にはウェストミンスターとシティの境界にあったテンプル・バーが置かれています。クリストファー・レンの作品。1878年に撤去されて実業家に売却されましたが、2004年にシティが買い戻し、ここに再築させました。

ウォーリック・レーンに刃物職人組合のホールがあります。

ホール正面にはテラコッタで刃物の製造場面が描かれています。刃物の生産はイングランド北部のシェフィールドで、ここでは業界規則や品質の管理を請け負っていたみたいです。

 紋章に象が使われているのは、昔から象牙が刃装具に使われているからです。

王立内科医協会のプラーク。昔ここにはウォーリック伯爵の邸宅がありました。16代伯爵はキング・メーカーと呼ばれ、バラ戦争で活躍しました。ウォーリック・レーンという道の名の由来になります。


最高刑事裁判所、通称オールド・ベイリーは昔ニューゲート監獄でした。監獄前では1783年まで公開処刑が行われており、見物人の混雑を避けるために処刑場がマーブル・アーチに移されても、監獄内での処刑は1901年まで続けられていました。

聖セパルカ教会は地下の通路で監獄と繋がっており、処刑の前の晩、最後のお祈りのため、牧師が鐘を鳴らしながら監獄に向かったそうです。

ヴァイアダクト・タバーン・パブの創業は1875年で、店の名前は1869年完成の陸橋交差点、ホルボーン・ ヴァイアダクト由来します。有名な幽霊スポットで、地下の貯蔵庫で幽霊が出没、階上では女性の幽霊が徘徊し、酒場ではポルターガイスト現象が起きるのだとか。黒い犬の幽霊が出没するニューゲート・ストリート、コックレーンの幽霊屋敷など、幽霊エリアの中心にこのパブがあります。

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