2016年8月22日月曜日

カラカラの時代

古代ローマ帝国ではテルマエは人々の生活に欠かせないものでした。ローマ市だけでも11のテルマエ(大規模共同浴場)と856のバルネア(小規模共同浴場)がありました。その中で一番有名なのはカラカラ浴場(212年着工、216年完成)ではないでしょうか。

一度に1600人、一日に8000人が利用したと言われています。熱浴室、温浴室、冷浴室、サウナ室、マッサージ室の他、図書館や運動場や庭園もあり、総合娯楽施設として市民の憩いの場所でもありました。入場料は25円程度でした。

カラカラ(在位211年―217年)
本名はアントニヌス。カラカラは幼いころから好んで着ていたガリア風のフード付きマントから付けられたあだ名です。即位時に共同統治者であった弟を暗殺。軍事費を賄うためにローマ市民にのみ課せられていた相続税や奴隷解放税を属州からも徴収するため、帝国内の全自由民にローマ市民権を与えました。217年東方遠征中に親衛隊兵士に暗殺されます。

セウェルス(在位193-211年)
カラカラの父。北アフリカ出身の軍人工程で、軍隊を優遇しました。ヨークで病死。

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