2017年2月11日土曜日

テート・ブリテン イギリス絵画の歴史 幻想画 フュースリ、ブレイク、パーマー、ダッド、、マーチン

ブレイク 戦車からダンテに語りかけるベアトリーチェ 1824-27
1779年、22歳の時にロイヤル・アカデミーに入学詩、版画の勉強をしていました。初期の頃から美術と詩の結合した挿絵も手がけました。ブレイクはこれらをさらに美しく飾ろうとして色版画の形式も取り入れ始めました。1818年以降は聖書を主題の水彩作品やダンテの新曲の挿絵を依頼され取り組みました。神曲でエデンの園で死んだ恋人ベアとリーチェが降りて来た場面です。

ブレイク べへモットを導くピットの霊的形象 1805

ブレイク アダムを創造するエロヒム 1795-1805

フュースリ 羊飼いの夢  1793
スイス生まれ。24歳の時にロンドンに渡り、レイノルズにも認められロイヤル・アカデミーのメンバーにも選ばれました。ダンテ、シェークスピア、ミルトンといった詩人の作品に基ずく幻想的な作品。

フューズリ 短剣を奪い取るマクベス夫人 1812
1766年にデイヴィット・ギャリックが主役を勤めた「マクベス」をロンドンで見たフューズリは劇場の光景をそのまま素描に描きました。

パーマー 夕方の教会 1830
パーマーは1805年に書籍商の家に生まれました.14歳でロイヤル・アカデミーに入選。1826年、パーマーは健康上の理由でケントのショーラムに居を移しますが、パーマーはこの場所で幻想的な地上の楽園のイメージを生み出しました。絵は徐々に写実的になっていきます。

パーマー グリーンリング・フィールド 1833

リチャード・ダッド 妖精のきこりの見事な一撃 1855-64
ケントに生まれ、ロイヤル・アカデミー付属学校で学びました。妖精などを主題に細密描写で幻想的な世界を描きましたが、精神を病み、父を殺害。それから亡くなるまで43年間精神病院で過ごしました。

ジョン・マーチン 最後の審判 1851-53
大洪水、火山の噴火、嵐など、人を圧倒する巨大なもの、恐ろしいもの、自然の脅威を描きました。想像力を屈指した壮大な作品は、当時人気を博しました。、

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