2017年11月13日月曜日

HSBC

HSBC (本社Canary Wharf)


香港上海銀行(HSBC)は、1865年にスコットランド人トーマス・サザーランドによって、アヘン戦争後にイギリスの植民地の香港で創設されました。一ヵ月後にはイギリスの共同祖界が置かれていた上海で営業を開始しました。 

香港に本社を置き、主に在華外国企業(サッスーン洋行、ジャーディン・マセソン、デント商会などのアヘン貿易商社)のインドなどの他の大英帝国の植民地との間における貿易金融を扱ったほか、通貨の発行も行っていました。現在も香港ドルの発券銀行の1つです。
その後波乱の時代を経て事業を拡大しました。商業銀行ですが、1997年の香港返還以前は、香港において中央銀行が行うべき役割も果たしてきました。

1980年代に大掛かりな買収戦略による拡大を開始してアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの有力銀行を次々に傘下に収め、同時期に中南米、中東、東南アジア、南アジア、トルコなど高成長が見込まれる地域の有力現地銀行多数を傘下におさめて、ほぼ全世界を活動地域としてカバーする世界で唯一の銀行になりました。

1992年にイギリス最大のミッドランド銀行の買収にあたり、登記上の本部をイギリス本国に移転することをイギリス政府から要請されました。そうした事情から、前年の1991年ロンドンにHSBC Holdings plcを設立し、登記上の本拠地をロンドンに移動し、イギリス法人となりました。

HSBCと日本との関係


1832年、スコットランド出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウイリアム・ジャーディンとジェームズ・マセソンにより、中国の広州にジャーディン・マセソンという貿易商社が設立されました。設立当初の主な業務は、アヘンの密輸とのイギリスへの輸出でした。

香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行でした。

アヘンの輸入を規制しようとする朝政府とイギリスの間にアヘン戦争(1840年~42年)が起こった際に、アヘン商人であるジャーディン・マセソン商会のロビー活動により、イギリス本国の国会は軍の派遣を決定したほどです。


1859年、上海支店にいたイギリス人ウィリアム・ケズィック(ウィリアム・ジャーディンの甥)が横浜にジャーディン・マセソン商会」を設立します。日本に進出した外資第1号としても知られています。横浜初の外国商館である社屋は、英一番館と呼ばれました。


1859年、トーマス・グラバーがジャーディン・マセソン商会の長崎代理店としてグラバー商会を設立しました。グラバーが五大友厚(薩摩)、坂本龍馬(海援隊)、岩崎弥太郎(三菱財閥)などを支援したことは有名です。

1863年、ウィリアム・ケズウィックは井上聞多、遠藤謹助、山尾康三、野村弥吉、伊藤博文の長州五傑のイギリス留学を支援します。彼らの英国滞在は、ジャーディン・マセソン商会のロンドン社長ヒュー・マセソンが世話しました。

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