2019年3月27日水曜日

肖像画美術館で学ぶ英国史 チャールズ2世の時代

 チャールズ2世

 キャサリン・オブ・ブラガンザ(妻)

 ヘンリエッタ・アン(妹)

 バーバラがチャールズに初めて会ったのは、まだチャールズが亡命中のことでした。
王党派のいとこ頼まれブリュッッセルのチャールズのもとへメッセージを運んだのですが、チャールズは即バーバラを愛妾にしたみたいです。

1662年、チャールズ2世はポルトガル王女キャサリン と結婚することになりました。
その時妊娠9ヶ月だったバーバラはなんとか邪魔しようと手をつくしましたが、相手の肖像画を見てすっかり乗り気の王は自らポーツマスまで迎えに行ってしまいました。
バーバラ大激怒  宮殿で出産すると騒いだ挙げ句、下着を洗濯し始め、ホワイトホール宮殿の庭に干したりして使用人を慌てさせました。その後すったもんだの末王妃の女官になったバーバラは王宮に住みつくと、王妃より大きな顔でサロンを開いたりして宮廷を牛耳っていきます。モールバラ公ジョン・チャーチルなど廷臣や使用人たちと浮気を繰り返しました。1709年に孫息子の館で亡くなりました。
ルイーズは小さな頃からオルレアン公妃アンリエッタ・アン(チャールズ2世の妹)の宮廷で暮らしていました。父親ギョーム・ド・ケロワールをはじめ家族たちは、ルイーズを王侯貴族の愛妾にしたがっているのだ、と公言している人もいました。

1670年、イングランドとフランスの間にドーヴァー密約が結ばれて、アンリエッタ・アンに付き添って行ったのがルイーズだったのですが、チャールズ2世から見初められ、愛妾になっていました。

実はルイーズはルイ14世からスパイとして選ばれた女性で王の愛人となってイングランド側の動きをフランスに報告するという役目を担っていました。

ルイーズは幼くけだるそうな顔つきとは裏腹に、かなり才知に長け意志が強い女性で政治にも影響力を発揮して宮廷で幅をきかせていきます。1673年にはピーターズフィールド男爵、ファーナム伯爵、ポーツマス公爵という3つの爵位を得ています。


チャールズ2世が亡くなると、フランスに脱出、85歳で亡くなりました。


サミエル・ピープス



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