2020年6月1日月曜日

HSBC(香港上海銀行)と日本の関係

1832年、スコットランド出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウイリアム・ジャーディンとジェームズ・マセソンにより、中国の広州にジャーディン・マセソンという貿易商社が設立されました。設立当初の主な業務は、アヘンの密輸とのイギリスへの輸出でした。
香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行でした。
アヘンの輸入を規制しようとする朝政府とイギリスの間にアヘン戦争(1840年~42年)が起こった際に、アヘン商人であるジャーディン・マセソン商会のロビー活動により、イギリス本国の国会は軍の派遣を決定したほどです。
1859年、上海支店にいたイギリス人ウィリアム・ケズィック(ウィリアム・ジャーディンの甥)が横浜にジャーディン・マセソン商会」を設立します。日本に進出した外資第1号としても知られています。横浜初の外国商館である社屋は、英一番館と呼ばれました。

1859年、トーマス・グラバーがジャーディン・マセソン商会の長崎代理店としてグラバー商会を設立しました。グラバーが五大友厚(薩摩)、坂本龍馬(海援隊)、岩崎弥太郎(三菱財閥)などを支援したことは有名です。

1863年、ウィリアム・ケズウィックは井上聞多、遠藤謹助、山尾康三、野村弥吉、伊藤博文の長州五傑のイギリス留学を支援します。彼らの英国滞在は、ジャーディン・マセソン商会のロンドン社長ヒュー・マセソンが世話しました。

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