2007年7月31日火曜日

バッキンガム宮殿

7月28日から9月28日までの2ヶ月間、バッキンガム宮殿のステート・ルーム(迎賓館)が一般公開されています。

ロイヤル・パレスとしての宮殿の歴史は、1761年にジョージ3世がバッキンガム公爵の館を買い取ったことから始まります。1826年、ジョージ4世は、ここを宮中会議を開いたり、王室の公式政務を行ったりできる王宮として改築を開始します。1850年、ヴィクトリア女王は宮廷舞踏室と育児室を増築し、国家政務と家庭生活の両方の機能を果たす宮殿にしました。1913年、ジョージ5世は宮殿の正面にヴィクトリア女王記念碑や金色の門を造って現在の姿にしています。

宮殿にはステート・ルーム19部屋、寝室52部屋、スタッフ・ルーム188部屋、事務室92部屋、トイレ78箇所あり、女王様は北側の2階の12部屋をプライベート・ルームとして使っています。

女王様は公式、非公式に多数の賓客をここで迎えます。舞踏室では定期的に叙勲式が行われ、夏には庭園で園遊会が催されます。

バッキンガム宮殿の限定販売品

ロイヤル・パレスは商売上手です。バッキンガム宮殿の夏の公開時には、庭にショップを作ってお土産物を売っています。

これは500枚限定のお皿です。表に2007年と記され、裏に500枚中何番かが書いてあります。

チョコレート(ココア)用のカップ&ソーサーです。これも500個限定です。お値段は125ポンドです。

今年は女王様夫婦の結婚60周年記念ですので、1000枚限定の特別なお皿もありました。

2007年7月30日月曜日

グリニッジ天文台

世界標準時で有名なグリニッジですが、ロンドンまで来ても、なかなかここまで訪れることができる人は少ないのではないでしょうか。

1675年、国王チャールズ2世の命を受け、ジョン・フラムスティードが初代王室天文学者になりました。彼はここで天文観測を行い、正確な星座図を作成しました。

これが子午線です。この天文台が子午線0度と定められたのは、1884年のことです。経度は地球を360度の円として、子午線からの割合を度・分・秒(000°00’000’’)と表します。日本はこの天文台から135度東の位置にあります。

天文台から見た景色です。丘の下にはクイーンズ・ハウス、海洋博物館、そして旧海軍士官学校(現グリニッジ大学)があります。その向こうはドックランズのオフィス街です。

1493年の世界

グリニッジの海洋博物館の展示物の写真です。

真ん中にある赤い線が、1493年(コロンブスのアメリカ発見の翌年)、ローマ法王アレクサンダー6世が定めた世界境界線(Boundary Line)です。法王は世界を2つに分け、この線の東はポルトガル領、西はスペイン領としました。

大西洋の真ん中できれいに分けたと思っていたのですが、南半球ではアメリカ大陸が東へ出っ張っていることを、その時誰も気がつきませんでした。境界線はきっちりと守られ、ポルトガルはブラジルだけに進出しました。だから、現在でも南米ではブラジルだけがポルトガル語を話しています。

そして、アジアはポルトガルのものになり、16世紀に日本までやって来たのはポルトガル船でした。17世紀にオランダやイギリスの東インド会社が勢力を伸ばしてくるまでは、日本はポルトガルからヨーロッパを見ていたのです。

2007年7月29日日曜日

チャートウェル

ケントにあるチャートウェルは、第2次世界大戦のころの英国の首相であったウィンストン・チャーチルの家です。チャーチルはこの渓谷の風景が気に入り、1922年に80エーカーの土地を購入しました。1965年に亡くなるまで住んでいた屋敷は、ナショナルトラストに寄贈され、図書室、書斎などが公開されています。

こちらはアトリエです。チャーチルは油絵が趣味でした。

こちらはゴールデン・ローズ・ガーデンです。

チャーチルの子供たちは、結婚式を挙げたときにここを行進したとか。

ウォール・ガーデンのレンガの壁はチャーチル自身が作ったものだそうです。

お花が見事でした。ここはチャーチルを知らない人にも、お薦めのガーデンです。

2007年7月27日金曜日

ハンプトン・コートの対岸の遊歩道

ハンプトン・コート橋の隣りにある、駅で待ち合わせをしました。

待ち合わせの時間まで、20分くらいあります。とても天気が良かったので、テームズ川沿いの散歩道を歩いてみました。

リッチモンド行きの船乗り場です。先日の雨で、かなり水嵩が増えていました。

でも、白鳥たちは嬉しそうです。

対岸には、500年の歴史がある王宮、ハンプトンコート宮殿が見えます。

2007年7月25日水曜日

ウォーター・リリー・ハウス

キュー・ガーデンで、私が一番好きな場所は、ウォーター・リリー・ハウス。


睡蓮の花は、今が旬です。

葉っぱの裏はこんな感じ。

池の清掃をしている人が、頑張ってくれています。
英語名Water Lily、学名Nymphaea。

2007年7月21日土曜日

国旗の話

英国国旗は、イングランドのセント・ジョージ旗と、スコットランドのセント・アンドリュー旗と、アイルランドのセント・パトリック旗が組み合わされてできたものです。

ユニオン旗なので、もしスコットランドが独立したら、国旗から青色が消えるわけです。

もう古いニュースになりますが、2006年6月21日の「その時歴史が動いた」番組内で、英国旗を上下逆にして放送してしまったそうで、その後NHKは訂正したそうな・・・。これを見つけた人は偉いです。普通クイズで出されても、わからないでしょう。

2007年7月1日、ノ・ムヒョン大統領が映像で国民にメッセージを伝えている際に揚げられる大極旗(韓国国旗)の、赤い部分と青い部分の境目の曲線が逆になって使われていたのが分かり、青瓦台(大統領府)は市民からの指摘を受け旗を処分した。って、本当かなあ?韓国人だったら、それはすぐに気付くでしょう?でも、周りの点々(天、地、日、月を意味するらしい)が入れ替わっても分からないかも?

その点、日の丸はシンプルで間違えようがないですね。

2007年7月20日金曜日

イングランドの教育システム

イングランドの学校はまだ夏休みではありません。今日が最終日、来週から休みです。

来週から9月初旬まで、ずっと家に中学生の娘がいることになります。

娘は14歳。イングランドの教育システムでは5歳で1年生ですから、現在9年生、夏休み明けから10年生です。義務教育は11年生までです。

義務教育が終わる前に、GCSEという全国一斉試験があります。たいていの学校では、10年生と11年生の授業は、GCSEに向けての受験勉強になります。

その後、大学を目指す場合は、同じ学校の中のシックス・フォームに進みます。16歳のGCSE、17歳のASレベル、18歳のA2レベル、という全国規模の一斉試験の結果で大学に進めるかどうかが決まります。

それで、9年生の時にGCSEの選択科目を決めさせられます。英語と数学と科学全般の主要3科目は全員強制らしいのですが、外国語や社会科系や芸術科目に関しては、自分で選択します。

娘は外国語はスペイン語、社会は地理、芸術は美術、そしてテクノロジー(技術・家庭科)を選びました。選んだということは、どういうことかというと、もう夏休み明けからは、フランス語とか、歴史とか、音楽とかの授業を受けなくてもいいという意味です。っていうか、勉強したくても選択以外の授業には参加できないんです。

なんかこんなに若く(日本の中学3年生)、専門分野に分かれてもいいのだろうかとも思うのですが、日本の高校生のようにダラダラと学校に通っている生徒たちがいることを考えると、嫌いな教科、不得意な教科は早く諦め、得意分野を伸ばした方が得策かも知れないと思うようになりました。

とにかく、これから2年後のGCSE試験に向けて、受験体制?に入っていくのだな~大変なんだな~とのんびりと考えている母親の私なのでした。