2017年3月21日火曜日

紅茶の歴史 ティークリッパー

 
1849年に航海条例が廃止され、英国の港に外国船が自由に出入りできるようになりました。アメリカ製の快速帆船クリッパーは1850年東インド会社の半分の97日という速さで香港からロンドンまでお茶を積んで来ました。


早く届いたお茶は香りが高く美味しいので、国民は新鮮なお茶を求めるようになります。1856年から優秀な成績を残した船には多額の契約金や報奨金が出るようになり、船員の意気が上がり、ティークリッパーレースは年を王ごとに白熱していきました。中国の茶の積み出し港(主に福州)からロンドンまでの航海に要した日数は99日でした。しかし、1869年スエズ運河完成すると、中国から英国間の航海日数は40日になり、自力走行できないクリッパーの時代は終わります。


お茶の歴史と共に大きくなったイギリス東インド会社は中国、インドとの独占貿易という特権を失い、1857年のセポイの蘭を気にインド国内で保有するすべての権限をヴィクトリア女王に委譲させられました。1874年イギリス東インド会社は終わり、1877年ヴィクトリア女王を皇帝に英国領インド帝国となります。

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