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肖像画家として有名なアンソニー・ヴァン・ダイクですが、素晴らしい宗教画も描いています。ロイヤル・コレクション(英国王室)にあるヴァン・ダイクの宗教画を並べてみました。
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ヴァン・ダイクは1599年富裕な 織物商人の子としてアントワープに生まれました。10歳で聖ルカ画家組合に入り、修行を開始。ルーベンスがヴァン・ダイクを最良の弟子と呼んでいますが、一緒に活動したころはヴァン・ダイクはすでに親方画家となって自分のアトリエを構えていたようです。1620年に英国、1621年~1627年イタリアに滞在し、画家として名声を得ています。1627年にアントワープに戻るとすぐ、数多くの祭壇画や宗教画制作しています。1632年に英国王チャールズ1世(実はカトリック教徒だったらしい)に仕える宮廷画家となり、ロンドンのブラックフライアースに住居を構えます。1641年に亡くなり、聖ポール大聖堂に埋葬されました。1666年のロンドン大火の際に墓石と遺骸は失われています。
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聖母子と聖キャサリン=アレキサンドリアの聖カタリナは4世紀の人とされます。ローマ皇帝マクセンティウスの偶像崇拝を批判したため、皇帝が派遣した50 人の哲学者と討論することになりました。しかし哲学者たちは全員カタリナ に論破され、全員キリスト教に改宗してしまいました。怒った皇帝はこの哲 学者たちを全員処刑してしまいました。 そしてカタリナを牢獄に閉じこめ、食べ物を与えずに餓死させようとしたの ですが、鳩が毎日食べ物を運んできて、彼女は飢えることはありませんでし た。そして獄中で彼女は見張りの兵士たち200人をキリスト教に改宗させ、 更には皇帝の妃まで改宗させてしまいました。 そこで皇帝はとうとう彼女を処刑することにし、釘のささった車輪で彼女を ひき殺そうとしました。しかし彼女を傷つけることはできませんでした。そ こでとうとう彼女の首をはねますが、そこからは血ではなく、ミルクが流れ 出たといいます。 そして彼女の遺体は天使たちがシナイ山に運びました。そこには後に教会が 建てられ、「シナイ山のセント・キャサリン」として中世多くの参拝者を集 めました。
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外套を分け与える聖マーチン=冬の寒い日に、ローマ兵だった聖マーチンが自分の外套を半分にして乞食に与えたという伝説があります。
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