2018年2月18日日曜日

V&Aで見るジュエリーの歴史 ネオ・クラシシズム 1750-1830

1748年にポンペイの遺跡が発掘されると古代のデザインに関心が高まりました。それを新古典主義といいます。この時代の特徴は同じ素材、同じデザインで作られたネックレスとイヤリング、ブローチ、ブレスレット、ティアラのセットで、3点以上のものをパリュール、ネックレスとイヤリングなど2点の組み合わせをドミ・パリュールと呼びます。デザインは花綱、木、枝、葉、リボンなどが好まれました。



1750-1800

 1720-1800

 1730-1800

 1730-1800

 1816-17 シャーロット王女の結婚と死

 1700-1820

1700-1800

1760-1800 ガラスとウエッジウッド



ジュエリーが王侯貴族のために作られていた。金やダイヤモンドが非常に希少な存在だったこと。
そのため、金はきわめて薄く加工され、ボリューム感を出す工夫が随所に見られます。ダイヤモンドはこの時代に磨くことで光ることがわかり初め、ダイヤを停めている台座の裏を空けたオープンセッティングが現れている。ランスに持ち込んだ人物である。

2018年2月17日土曜日

ジュエリーの歴史 ナポレオン時代 1804-1814

 ナポレオンは自らをローマ皇帝を称して古代ローマ風のジュエリーを多く作らせました。フランス革命で散逸したフランス王室の宝飾品を回収したり、征服した土地の遺物を収奪し、パリに宝石彫刻学校を開設させ、集められたカメオなどは自分好みのティアラやネックレスなど新しいジュエリーとなりました。




ナポレオンとジョセフィーヌ

1780-1830 カメオ




 1760-1880 カットスチール

1795-1840 革命後のフランス



皇后マリー・ルイーズは文字遊びのブレスレットを考えました。

2018年2月16日金曜日

ジュエリーの歴史 ヴィクトリアン初期 (1837~1861) センチメンタリズム 文字遊び ナチュラリズム




1837年に ヴィクトリア女王が即位します。若い女王は大粒のガーネットのジュエリーと、トルコ石のジュエリーを好みました。月や星、花や木、青い鳥、リボン、ハートなどのデザインが流行り、文字遊びのジュエリーも流行しました。


産業革命による工業化や、貿易の広域化から新興の裕福な階層が生まれ、ジュエリーの需要が増加した時代で、オーストラリアとカリフォルニアで新しい金鉱山が発見されて、金を贅沢に使ったジュエリーが現れます。


 

1820-1850

 1820-1870

 1820-1850

 1790-1840 ナチュラリズム




1810-1850 生と死
 ナチュラリズム 1800-1880


 
 旅の土産 1820-1900

 トルコ石 ビクトリア女王がブライドメイドの青い鳥を贈った

 サンゴ
 万博 1851




2018年2月15日木曜日

ジュエリーの歴史 ヴィクトリアン中期(1861~1880) モウニング・ジュエリー 



1861年、ヴィクトリア女王の最愛の夫アルバート殿下が急死し、喪に服すため黒を基調とした
モウニング・ジュエリーが生まれました。


古代の木の化石で彫りを入れたり自在に形成したりすることができるジェットやボグオークが素材として使われました。死者の遺髪をジュエリーの素材にしたものもあります。


喪に服す上流階級と、人生を謳歌する中産階級で、ジュエリー市場は二分されました。


ベルリン・アイアンは鋳鉄で細かい細工を作り、そのうえに釉薬をかけて作ります。




1810-1830 ベルリンアイロン ネオ・クラシズム

 1815-1830 ベルリンアイロン ゴシック
生と死 1860-1900





2018年2月14日水曜日

ジュエリーの歴史 ヴィクトリアン後期(1880~1901) 機械化による大量生産





1860年代には、オーストラリアとカリフォルニアで金鉱山が発見され、南アフリカでダイヤモンド鉱山が発見されされました。
それまで店主と客が話し合って作るジュエリーから、店がデザインしたものを店舗に並べて売る時代になりました。
産業革命の影響で金メッキの技術が発達し、ジュエリーの生産に機械が導入、合金や人造宝石の開発などして大衆階級向けのジュエリーが盛んに作られます。
金の代わりにピンチベック、ダイヤモンドの変わりにマルかジッとが登場しました。








 カメオ 1840-1890

 ヴィクトリア・ブローチ 1860-1890

 ヴィクトリア 1860-1900

 ヴィクトリア 中東とインドの影響 1850-1900
 エメラルド 1874-1887

 ルビー 1874

 ブリリアン・カット・ダイヤモンド 1885、1897、1915

 ダイヤ、トルコ石 1854,1820




1880-1900 アンティーク





2018年2月13日火曜日

ジュエリーの歴史 歴史主義 カステラーニ ジュリアーノ スコティッシュ・ジュエリー

イタリアの遺跡からエトルリアや古代ローマの遺物が続々と出土し、ヴィクトリア時代の半ば頃から歴史的遺物に対する人々の関心が高まります。


カステラーニはエトルリア人の遺跡から発掘される金細工を精密に復元しました、


 クレオパトラ+トロイのヘレンのリバイバル 1840-1890


 ポンペイのリバイバル 1840-1890


 エトルリアのリバイバル 1840-1890

 カステリーニ 1860-1880

古代ローマのリバイバル 1840-1890

カステリーニ 1840-1915








ジュリアーノはルネッサンスの宗教的なモティーフを七宝で復元しています。


 ジュリアーノ チューダー・ルネッサンス風 1874-1895





 中世のリバイバル 1820-1900

 ルネッサンスのリバイバル 1840-1900

 ロココのリバイバル 1820-1870




アイルランドでは発見されたタラのブローチを模したケルト風ブローチが作られ、スコットランドでは現地の河川で採れるるアゲートという石をカットしてケルト模様の台座にセットしてスコティッシュ・ジュエリーが作られました。





スコットランド、ケルトのリバイバル 1840-1890

2018年2月12日月曜日

ジュエリーの歴史 エドワーディアン時代(1890~1915)



エドワーディアンとはエドワード7世時代を意味します。

ヴィクトリア時代中期以前のジュエリーは色石や七宝が好まれましたが、19世紀になりガス灯や電灯が登場し夜が明るくなると、光る石が宝石の主流になります。
金や銀より強靭なプラチナを台座にダイヤモンドと真珠を素材にした、ティアラ、ソトワール(ロング・ネックレス)、コサージュ、ブローチ、ドッグカラー、ブレスレットなどが作られました。

英国の王侯貴族が正式の場で正装した時に着用するジュエリーです。この後の時代はハリウッドの俳優がファッションのトレンドを作っていきます。


世界最大のダイヤモンド(原石3024カラット)は1905年に南アフリカで採取されました。当時のダイヤ鉱山のカリナン会長の名前が付けられたカリナン・ダイヤモンドはエドワード7世戴冠の献上品として英国に渡り、英王室はそれを9つに割って、最大のもの(530カラット)は王錫に付けられ、2番目のものは(316カラット)は帝国王冠に付いています。カリナンは、現在ロンドン塔で見ることができます。

2018年2月11日日曜日

ジュエリーの歴史 アール・ヌーヴォーの時代 (1890~1915)

アール・ヌーヴォーは新しい芸術という意味です。
日本美術の影響を受け流れるようなデザインが特徴です。
漆、七宝、螺鈿、蒔絵の技術を用いて、トンボ、カエル、草花、鳥、蝶のジュエリーを作りました。


 1903






 1890-1910


 
アメリカ&ヨーロッパ1880-1918


1905 アールヌーボー


1890年代、時代を席巻するアールー・ヌーボーのスタイルの可能性を宝石商たちは模索した。 密接に関連するのが、ドイツのユーゲント・シュティールや、英国(また少しは米国も)のアーツ&クラフツ運動である。 ルネ・ラリックは、パリのサミュエル・ビングの店で働き、現代ではアール・ヌーボーの旗手とされている。 ダルムシュタットの芸術家村、ウィーンヴェルクシュタットは、ドイツにこの潮流を運ぶ源となった。 その間、デンマークではジョージ・ジェンセン(現在では銀器でよく知られる)が優れた作品を生み出し、英国ではリバティ商会チャールズ・ロバート・アッシュビーによるアーツ&クラフツ運動が流線型の特徴あるデザインを提供した。
この新しいスタイルは、宝石商たちのこだわりを、宝石のセッティングからジュエリーそのものの芸術的デザインに変化させた。 ラリックの有名なトンボのデザインは、その良い例である。エナメルが技術的に大きな役割を果たし、うねるような有機的ラインが最も特徴的である。第一次世界大戦が終わると流行は変化し、新しいスタイルが取って代わるようになった [24]
アール・ヌーヴォーの時代 (1890~1915)
万博や交易の発展により、ヨーロッパの市場に日本の文化が溢れ、ジュエリーのデザインも日本の影響を受けています。大量生産はせず、非常に希少で高額なところがあります。