2008年10月31日金曜日

ハロウィン

今日はハロウィンです。もともとはケルト人が年の終わりである10月31日を祝ったもので、この夜は死者の霊が家族を訪ねると信じられていました。

ハロウィンのテーマは不気味なもの、怖ろしいもので、死、幽霊、魔女、吸血鬼などです。魔女やお化けに仮装した子供たちが「トリック・オア・トリート(Trick or treat)、 お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ)」と言いながら近くの家を訪ね歩き、お菓子をもらいます。

ジャック・ランタン(Jack-o’-lantern)と呼ばれるお化け提灯は、最もハロウィンらしいシンボルです。

普通は、カボチャを彫って、悪い霊を怖がらせて追い払うために怖い顔を作り、内側から蝋燭で照らして、ハロウィンの晩に家の入口に置きます。

ということで、私も早速カボチャで顔を作ってみました。でも、これじゃ全然怖くないですよね~。

同じカボチャを彫り進めて、もうちょっと怖い顔にしてみました。今度はいかがですか?

2008年10月30日木曜日

世界で一番古い地下鉄の駅

世界で一番古い地下鉄の駅のファリンドン(Farringdon station)です。

1863年に開通した世界で一番古い地下鉄は、パディントン駅~ファリンドン駅間の約6km。建設当時すでにロンドンには建物が密集していたので、地上に鉄道を建設できませんでした。

地下鉄を意味する「メトロ」という単語の語源は、この最初の地下鉄「メトロポリタン鉄道」に由来しています。そして、「メトロポリタン鉄道」を語源として、パリの地下鉄が「Métro (Métropolitain)」になり、世界中にその呼称が広まったのだそうです。

開通から10年後にはメトロポリタン鉄道は延伸され、一日10万人を輸送するまでに成長します。

1905年に電化されるまで、蒸気機関車を使っていました。機関車から大量の煙が出るため、線路の一部も掘状のオープン・スペースで、駅構内は換気性を確保した吹き抜け構造となっていました。

現在はメトロポリタン線、ハマースミス&シティー線、サークル線が線路&ホームを共有して発着しているので、行き先をよく確認しないと乗り間違えます。こんな古ぼけた駅にも、栄光の歴史があったのでした。

2008年10月29日水曜日

質屋のシンボル

世界最古の地下鉄駅ファリンドンから、スミスフィールド肉市場までの道がCowcross Streetです。昔は、スミスフィールドの家畜市場に牛を連れて売りに行く人たちが通る道でした。

そのCowcross Streetにあるのが、The Castleというパブです。

パブの看板にはCook fighting(闘鶏)の絵が描かれています。勝負には賭け事が付き物。

負けた人のために質屋のライセンスまでありました。この3つの金の玉は聖ニコラスのシンボルでもあります。聖ニコラスが質屋の守護神だからなのだそうです。

聖ニコラスといえば、クリスマスにプレゼントを持ってきてくれるサンタクロースと同一人物。なんでサンタが質屋の守護神になったのでしょうか?

2008年10月28日火曜日

スミスフィールド

スミスフィールドにはロンドンの肉市場があります。早朝、ロンドン全体からお肉屋さんが肉の取引に集まる場所です。

昔、スミスフィールドは、smooth field(滑らかな野原)と呼ばれていました。ロンドン市壁の外側にあり、10世紀ころから家畜の取引の場所であったようです。

スミスフィールドの周りには、Cow Cross Street(牛が通る道)、Cow Lane(牛の小道)、Cock Lane(ニワトリの小道)、Pie Corner(パイのコーナー)などの地名があって、笑えます。昔の「お肉」の取引は生きたままの牛をドナ・ドナ・ドナ・ド~ナと歌いながら(?)スミスフィールドまで引っ張ってきました。

シティーに近い広い場所ということで、夏祭りや公開処刑にも利用されてきました。

聖バーソロミュー病院の壁の記念碑は、ここで1305年に処刑されたウイリアム・ウォレスをスコットランドの英雄として称えたものです。1381年の反乱の首謀者ワット・タイラーがロンドン市長によって殺された場所でもあります。宗教改革時代はカトリックのメアリー1世が、プロテスタントの男女、子どもを火あぶりにした場所としても知られています。

今は静かな公園があるのみ。

2008年10月27日月曜日

聖バーソロミュー教会と病院

このチューダー様式の門の奥に、ロンドンで一番古い教会があることを知っている人は少ないでしょう。

これが現存するロンドンの教会の建物の中で一番古い、聖バーソロミュー・ザ・グレート教会。

聖バーソロミュー(Bartholomew)は12使徒の中のひとりで、日本ではバルトロマイと呼ばれ、最後は皮を剥がれて殉教してします。システィーナ礼拝堂のミケランジェロの壁画で有名ですよね。

この教会は1123年にラヒア(Rahere)によって造られました。

ラヒアは巡礼のため訪れたローマで病に倒れ、「もし病気が治ったらロンドンに貧しい人のための病院をつくる」と誓いました。ラヒアの前に聖バーソロミューが現れ、スミスフィールドの地に教会を建てるよう指示したのでした。

病気が治って無事にロンドンに戻ることができたラヒアは、約束通りここに教会と修道院と病院を建てたのでした。教会の中にはラヒアの墓もあります。

ノルマン様式(=ロマネスク様式)は丸いアーチが特徴です。ゴシック様式の尖ったアーチと比べてみてください。

こちらはクロイスター(回廊)。修道院時代は修道士たちの生活の場でした。

外側から見たクロイスター。

隣には聖バーソロミュー病院。ここはシャーロックホームズがワトソン医師に出会った所でもあります。小説の中の話ですけどね。

現在もNational Heath Serviceの病院です。

2008年10月26日日曜日

セント・ジョンズ・ゲート

このSt. John's Gate(聖ヨハネの門)は、1504年に聖ヨハネ修道院の入口として建てられました。

宗教改革後、修道院は解体され、現在は聖ヨハネ教会(St. John's Church)が残るのみです。

聖ヨハネ修道院は聖ヨハネ騎士団(The Order of St. John of Jerusale、Knights Hospitaller)の英国での本拠地でした。

聖ヨハネ騎士団は1023年ごろ商人がエルサレムの洗礼者ヨハネ教会跡に病院兼巡礼者宿泊所を設立したことに始まります。1113年に教皇から正式な承認を得て、騎士修道会となります。当初は、病院・宿泊所としての役割が強かったのですが、やがて軍事的要素が強まります。

1187年にエルサレムが陥落した後、1309年にロドス島に本拠地を移します。騎士団の構成員は騎士が500人程度で、母国語によって8つ(フランス・イタリア・イングランド・ドイツ・アラゴン・カスティーリャ・オーベルニュ・プロヴァンス)の騎士館グループに分かれていました。1522年、オスマン帝国のスレイマン大帝が400隻の船団と20万人の兵で来襲、ロードス島を明け渡して、マルタ島に移りました。その後、1798年にナポレオンがエジプト遠征の際にマルタ島を奪ったため、本拠地を失った騎士団は求心力を失い、各地の支部が独自に活動するようになります。現在の本部はローマにあります。

2008年10月25日土曜日

ミドル・テンプル・ホール

オープンハウスを利用して、ミドル・テンプル・ホールに行ってきました。

1312年にフランス国王フィリップ4世の陰謀で、教皇クレメンス5世は正式にテンプル騎士団の廃止を決め、

英国でもエドワード2世がここにあったテンプル騎士団を解散させてしまいました。

その後、ここは法律家を養成する場となり、1608年にジェームズ1世により、土地・建物はすべて法学院に譲られました。

扉のThe lamb and flagは、復活したキリストを象徴しています。

1573年に完成したホールの中です。

正面にはチャールズ1世の絵。

壁には紋章。

普段ここは法学院のダイニング・ホールとして使われているのだそうです。

1602年にシークスピアが「十二夜」を初演したことでも知られています。

2008年10月24日金曜日

テンプル・チャーチ

テンプル・チャーチは法律弁護士事務所の建物が多く集まる静かなオフィス街にあります。ダヴィンチ・コードに書かれているように巨大ビル街の陰に隠れているわけではありません。

オープンハウスの日に行ったら、普段開かれることがない西側の扉が開かれていました。

この教会は1185年2月10日にエルサレム総主教ヘラタレイオスによってテンプル騎士団に献堂されました。1096年の第一回十字軍の終了後、ヨーロッパ人によって確保されたエルサレムへの巡礼に向かう人々を保護するために設立されたのがテンプル騎士団です。

テンプル騎士団の特徴は、構成員が修道士であると同時に戦士だったということです。しかも王族や貴族たちの財産を預かる中で、中世に独自の金融システムを発達させ、国際銀行の元祖ともいうべき役割も果たしていました。フランス王フィリップ4世の陰謀により、1307年に騎士団は解散させられ、以後19世紀まで異端とされていました。

ダヴィンチ・コードに「十体の石の騎士。左に五体。右に五体。等身大の彫像が、仰向けの安らかな姿勢で床に横たわっている。騎士たちは鎧一式に盾と剣といういでたちで忠実に再現されており、まるで眠っている隙に何者かが忍び込んで石膏で固めたかのような、不気味な印象を与える。」と書かれている石像たち。

「彫像はどれも風化が激しかったが、一体一体にはっきりした特徴があり、武具の細部や、腕と足の位置、顔の表情、盾の模様が異なっている。どの騎士も仰向けだが、三人は脚をまっすぐ伸ばし、あとの二人は交差させている。着ているものをよく見たところ、ふたりは鎧の上に外衣をはおっているが、ほかの三人は足首に達する長衣を身に着けている。ふたりは剣を持ち、ふたりは祈り、ひとりは両腕を体の横につけている。」

足を組んでいるのは十字軍遠征で亡くなった騎士であるという意味です。

「封印された石の棺が置かれている。棺は台形で頭の側へ向かうにつれて広がっており、山形の蓋がついている。」とダヴィンチ・コードにも書かれているこの石棺。ラングドンじゃなくても、「なぜこの騎士は隠れているんだ」と思いますよね~。