2016年3月31日木曜日

ロンドン塔

ロンドン塔。

少し時間があったので、久しぶりに中に入ってみました。

対岸にはノーマン・フォスターの建築群。

ここからヨーマン・ウォーダーズによる

ツアーが出ています。

退役軍人から選ばれたヨーメン・ウォーダー。

アーチを抜けると、

 
ホワイト・タワー。

現存するロンドンで一番古い建物です。

クイーンズ・ハウス(非公開)

セント・ピーター・アド・ヴィンキュラ教会

時間が無かったのでどこにも入らず、テームズ川側の出口から出ました。

2016年3月30日水曜日

タワー・ブリッジ

ロンドン塔の隣のタワー・ブリッジは、1894年6月30日に開通しました。当時は蒸気機関に水圧式蓄圧器で動力を使って橋を開閉させていました。


タワー・ブリッジのメンテナンス費用は、中世以来のロンドン・ブリッジの通行料が元手となって創設されたシティのブリッジ・トラストから拠出されています。

デザインは、ホレス・ジョーンズによるものです。スミスフィールド肉市場や旧ビリングスゲート魚市場も担当したシティの顧問建築家です。欄干にシティ紋章がついています。

テームズ川とロンドン塔。

バス停もあります。

昔、お堀だったところは埋められ、

時々イベントが行なわれます。

ポート・オブ・ロンドン・オーソリティー(10 トリニティー・スクエア)の建物は

もうすぐフォーシーズンズのホテルとしてオープンするのだそうです。

2016年3月29日火曜日

ローマ時代の市街壁 in ロンドン

タワー・ヒルに立つトラヤヌス帝の銅像。 2000年前、ロンドンはローマ帝国の支配下にありました。先住ケルト人が「沼地にある砦」という意味のロンディニウムと名付け、物資を集積・運搬する貿易港、商業の拠点として発展しました。

やがて市街壁を造ります。

青い部分はローマ時代の市街壁、右下の赤い部分はロンドン塔です。

ローマ時代(西暦200年頃)の市街壁のイラスト。

中世(西暦1100年頃)の市街壁のイラスト。

こちらの中世の壁の跡は、

観光地となっていました。

2016年3月28日月曜日

オール・ハロー・バイ・ザ・タワー教会

シティーの入口には銀色のドラゴンの像が建っています。ドラゴンが持つ盾に描かれているのはシティの紋章です。聖ジョージ旗をベースに、その左上部に聖パウロの殉教の際に使われた剣が描かれています。

そのドラゴン像の前にあるのが オール・ハローズ・バイ・ザ・タワー教会です。

西暦675年、サクソン時代に建てられた古い教会で

その後何度か改築されています。

 
立派なパイプ・オルガン。

説教段の上に帆立貝(聖ヤコブの象徴)の屋根。

グリニング・ギボン作の洗礼盤

  地下には博物館があります。

ローマ時代(西暦2世紀)のモザイクの床

いろいろな出土品が展示されています。

ローマ時代のロンドンの町の模型は一見の価値があります。

ロンドン橋と行政の中心のフォーラムが分かりますね。

地下には礼拝堂が

二つあります。

2016年3月27日日曜日

ロイズ保険会社とガーキン

昔の処刑場跡に建つThe Hung Drawn and Quartered(首吊り・内臓抉り・四つ裂き)という名前のパブの前を通って、


ミンスター・コートへ。

デズニー映画「101匹のワンちゃん」で

悪者役のクルエラ・デ・ビルの本部として使われた建物です。

ロイズ保険会社。リチャード・ロジャーズの設計。


ロイズ保険は1688年に開かれた船舶情報の集まるコーヒーハウスから始まりました。保険の引き受けが始まるころはロンバード・ストリートにありましたが、業容が拡大して保険市場に専念すると王立取引所に移ります。20世紀初頭、旧東インド会社のあった現在の場所に移転します。

 
建物の中心には有名なルーティン・ベルがあります。海難事故などの悲報には一回、無事帰還などの吉報には複数回、鳴らされるのが伝統です。タイタニック号沈没のときには悲報として、また、アポロ8号や11号の無事帰還の際は吉報として世界に向けて鳴らされました。

シティーで一番目立つ建物はガーキン(きゅうりのピクルス)です。ノーマン・フォスターの設計で、2004年に完成しました。

住所は「聖メアリー斧通り 30番地」。斧通りの名称は敷地の南隣に1561年まであった「聖メアリー斧教会」に由来します。伝説によれば、4世紀ごろ、イングランド南西部にあったブリ トン国の娘が異教徒との結婚を命じられ、婚礼前に1万1000人の乙女を引き連れローマ巡礼の旅に出ます。ところが道中、ドイツ・ケルン市で騎馬民族のフン族に襲われ、全員死亡。王女は聖人ウルスラとなり、そのとき使われた3本の斧のうちの1本を聖遺物として祀る教会=斧教会が建てられました。

18世紀半ばにヴァージニア & バルチック・コーヒーハウスができ、船積運賃を取引したり市況情報を提供するバルチック海運取引所に発展。1992年のアイルランド共和軍テロ爆破事件で取引所の建物が破壊されて北隣に移転、元の場所にガーキン が建てられました。

隣の教会は聖アンドリュー教会。ジョン・ストウが埋葬されています。シティの仕立て商組合に奉公していましたが、ロンドンの建築物、社会状況、慣習などを細かく調べ上げ、地図を添えてロンドンの歴史の本を書きました。聖アンドリュー教会内部には、机に向かってペンを持つストウの大理石像があります。命日の4月5日、この羽根ペンがロード・メイヤーによって交換される儀式が3年毎に行われます。

建物の前に置かれている自転車アートは

アイ・ウェイ・ウェイの作品です。

小さなフィギャーは鈴木友昌の作品です。

デミアン・ハーストの作品「チャリティー」

聖へレンズ・ビショップスゲート教会
1210年から続くベネディクト派の女子修道院があった所で、1666年の大火、第2次世界大戦のドイツによる空襲にも耐えましたが、1992年と93年の2回のIRAテロでダメージを受けました。