2015年2月28日土曜日

大英博物館で学ぶローマ時代 (建国時代、ギリシアとエトルリアの影響)

昨年11月に日本で買ったこの本を基にして

大英博物館の古代ローマ時代を案内しようと思います。

言い伝えによれば、古代ローマは軍神マルスの2人の息子ロムルスとレムスによって、紀元前753年に建国されました。テベレ河畔の7つの丘の上に建設された都市国家で、初期は王政がしかれていましたが、紀元前509年にエトルニア出身の王を追い払い、元老院から選ばれる2人の執政官が治める共和国になりました。

ギリシアの影響
ギリシア人たちはイタリア半島南部やシチリア島に植民地を建設しました。南イタリアは肥沃な土地のため、壮麗な寺院、豪華な家具調度を備えた住まいが立ち並んでいました。ローマはイタリア南部のギリシア都市からギリシア文明を学び取り大国に成長していきました。

タレントゥム(南イタリアのギリシャ領)で作られた青銅の騎馬像(550BC)

赤絵のワイン壺 アプリア 340BC

タレントゥムの墓から出土した金のネックレス(350BC)

エトルリアの影響
エトルリア人はイタリア半島北部に都市国家群を形成し、ギリシアの影響を強く受けていました。商業、建築、工芸に優れ、初期のローマ人に大きな影響を与えました。

金のブローチ エトルリア 600BC

墓のテラコッタに描かれた絵 エトルリア 550BC

アフリカ人の少年のデザインのマグ エトルリア 300BC

セイアンティ・トレスナサのテラコッタの棺(台座に名前が刻まれています) エトルリア 150 BC

一緒に埋葬されていた身の回り品

彼女の頭蓋骨を復元すると、

こんな感じです。

2015年2月27日金曜日

大英博物館で学ぶローマ時代 (シーザーとクレオパトラ)

紀元前260年、北アフリカの大国カルタゴと利害が衝突したことから100年にわたるポエニ戦争が始まります。紀元前146年、カルタゴに勝利しローマが地中海における最強国になり、紀元前50年までには地中海沿岸のほとんどの地域がローマの支配下に置かれました。
 
シーザーは紀元前60年ポンペイウス、クラッススと三頭政治を行い、紀元前58年から51年にかけてガリア地方へ出兵。紀元前49年、ルビコン川を渡ってローマへ進撃。紀元前48年、敗残兵を追ってギリシャ、そしてエジプトへ向かい、女王クレオパトラと出会います。

クレオパトラ7世はエジプトの最後の女王です。シーザーがエジプトを訪問した際、絨毯から絹糸一枚をまとった姿て現れたと伝えられています。シーザーと結婚し、息子カエサリオン(エジプトではプトレマイオス15世)をもうけました。

シーザーのコイン(BC44 ローマ)
紀元前44年、地中海世界に君臨するカサエルは終身独裁官に選ばれます。しかしその年の3月15日、元老院が開催される予定だったポンぺウス劇場の回廊で、シーザーの独裁を恐れる人々に暗殺されます。

ブルータスのコイン(BC43-40  ローマ)
「ブルータス、お前もか」のブルータスです。シーザーの愛人セルウィリアの息子で、法務官に就任するなど厚遇されていましたが、暗殺を主導しました。

2015年2月26日木曜日

大英博物館で学ぶローマ時代 (アウグストゥス)

大英博物館の正面入口を入ってすぐの部屋に

 
 オクタヴィアヌス(在位紀元前27-25年)の青銅像の頭部が展示されていました。

オクタヴィアヌスはシーザーの養子で、シーザーが暗殺された翌年から、シーザーの部下のアントニウスとレビドゥスと三頭政治を行いました。間もなくレビドゥス は失脚。紀元前31年アクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラの連合軍を破り、ローマの第一人者となります。 紀元前27年、アウグストゥスの尊称を受けてローマの最初の皇帝に就任しました。していきます。

展示されている頭部はエジプト製でヌビアのメロエ族が略奪し神殿下に埋めたものです。皇帝らしく実際よりも大きく、ヘレニズム文化の影響で理想体型で完璧な体型をしていたと思われます。


 提供は朝日新聞。

アウグストゥスの時代(在位紀元前27年‐14年)は安定していたので、文化が発達しました。
赤縞メノウのカメオ(AD14‐20年)はメドゥーサの頭を付けたゼウスの盾を持っています。

アウグストゥス帝の妻リヴィアの像。
3番目の妻。前夫との間に2代目皇帝となるテイxベリウスをもうけます。

 ポートランドの壺(1BC-AD1)
ガラスのカメオ。コバルトブルーのガラスの上に白色ガラスで覆い、冷やした後白色層を削り取った。ペレウスとテティスの婚約場面。ローマで作られましたが、1785年からポートランド公爵の所有となり、1810年から寄託され、1945年に購入しました。

銀のカップ

ティベリウス(在位14年―37年)
54歳で帝位に就き、堅実な統治を展開しますが、23年に実子が亡くなると政治は近衛隊長のセイアヌスに任せて、27年からナポリ湾に浮かぶカプリ島に隠棲しました。

 ティベリウスの鉄の剣と青銅の鞘 15BC

2015年2月24日火曜日

大英博物館で学ぶローマ時代 (クラウディウス)

クラウディウス(在位41年―54年)
アウグストゥスの姉の孫という名門に生まれましたが、家族からは知的障碍者と思われていたので皇帝になった時は51歳でした。でも実際は無能ではありませんでした。

AD43年にはイギリスを征服し、属州ブリタニアを編成しました。

テームズ川沿いの要所にロンドンが建設され、ブリタニアの首都になりました。

ロンドンは、バジリカ(集会場や裁判所)、フォーラム(広場)、神殿、コロシアム(競技場)、テルマエ(公衆浴場)が揃ったローマ都市に発展しました。

クラウディウスは解放奴隷を重要し皇帝の権力を強めましたが、4番目の妻アグリッピナ(ネロの母)によって毒殺され ました。

2015年2月23日月曜日

大英博物館で学ぶローマ時代 (ウィスパシアヌスとティトゥス)

ローマで一番有名な建物コロッセウム。75年にウィスパシアヌス帝が建設を始め、完成したのはティトゥス帝の時代でした。競技場の規模は長径188メートル、短径156メートル、高さ48メートル、収容人数5万人です。

野獣と人間の戦い、公開処刑、剣闘士の闘いが行われ、入場できるのは招待状所持者のみで、座席は男女や階層、職業などによって区切られ、最前列は元老院議員や巫女、祭司、行政官の席でした。

重装備の剣奴が見に付けた青銅製の兜
頭部は保護されますが、視野が狭められ素早い動きができません。

トラキア人の青銅の盾
当時はピカピカに磨き上げられ、金色に光り輝いていました。

投網剣闘士(net-fighter)  1-2世紀
ふちに重石を付けた網を持ち、敵の足をすくったり、からめとったりします。兜を着用しないで、素顔で戦いに挑みました。

トラキア剣闘士(Thracian)  1世紀
ギリシア北部のトラキア部族民の祖国の兵士の恰好。戦争捕虜が剣闘士になりました。

トラキア剣闘士 1-2世紀
湾曲した剣が特徴です。

 死闘を演じる重装備の2人の剣奴を描いたテラコッタ。(1-2世紀)

 剣奴に飛びかかるヒョウを描いたテラコッタ。(1-2世紀) 


ローマ市内に建設された大競馬場キルクス・マクシムスは収容人数25万という最大規模のレース場でした。ゲートから一斉に飛び出した戦車は一周約1,1㎞のトラックを7周して争われました。

2頭立て戦車(two-horse racing chariot) 1-3世紀
レース用に調教された馬が専用の厩舎で飼育されました。激突や転倒しても、最初にゴールに入った戦車が勝利を収めました。

青、白、赤、緑チームの馬の御者 モザイク(300-350年)

トリトンの飾り (2世紀)

ウェスパシュアヌス (69-79年)
元老院と軍隊の双方に支持されて皇帝になったウィスパシアヌスは、即位のときすでに60歳位という高齢でしたが積極的に行動し、元老院議員と騎士たちの財産や品行を厳しく査定し相応しくないものを除外しました。市民に重い税金を課したり、官位を高額で売ったりということもありましたが、平和な時代でした。

ティトゥス (79-81年)
ティトゥス が統治した2年間は不幸が続きました。79年8月ヴェスヴィオ山が大噴火しポンペイの街が全滅。さらにイタリア全土に謎の疫病が蔓延し、皇帝自身も謎の疫病に冒され、就任してわずか2年、42歳でなくなりました。

2015年2月22日日曜日

大英博物館で学ぶローマ時代 (トラキアヌス)

トラヤヌス (在位98-117年)

トラヤヌスはローマ植民地スペイン南部セビリア近郊に生まれました。ローマ帝国史上初めての属州の地に生まれた皇帝です。

 ゲルマニアの総督だったトラヤヌスは、98年前帝ネルヴァに推薦されて皇帝になりました。トラヤヌスが最も評価されたのは公共事業で、トラヤヌス広場やヴェローナ円形劇場、オスティアの港などを建設し、上水道と四大街道を整備しました。

ダキア戦争の様子が刻まれたトラヤヌス記念碑
101-108年にはドナウ川の北岸に進撃、ダキア(ルーマニア)を属州にし、ぺトラで有名なナバテア王国を攻撃し、アラビアを属州にし、114年にパルティアと戦争し陥落させ、メソポタミアとアッシリアを属州にし、ローマ帝国は最大領域に達しました。