2007年5月30日水曜日

マルモッタン美術館

「印象派」という名前のきっかけとなった、モネの「印象・日の出」を見るために、ブローニュの森の近くの高級住宅地にあるマルモッタン美術館に行ってきました。緑の公園に隣接しており、環境は抜群。とても静かで、落ち着きます。

この美術館はポール・マルモッタンのコレクションを元に・・・といっても、マルモッタンのコレクションには印象派の絵画はなく、1957年にベリオの収集品をその娘から、1966年にモネの次男から絵を寄贈されて、今のように印象派絵画中心の美術館となったようです。

さて、「印象・日の出」の絵の見方ですが、モネの絵は近くで見ても、あまりいいと思えないかもしれません。でも、少し離れて鑑賞してください。目の錯覚で、色が混じって、なかなかいい絵になりますよ。

この美術館の地下には、オランジュリー美術館のようにモネの庭の絵を集めた丸い部屋がありますので、モネが好きな方にはお奨めです。

マドレーヌ寺院

パリの中心、コンコルド広場の北側に、新古典様式のカトリック教会があります。マドレーヌというのは、新約聖書によく出てくるマグダラのマリアのことだそうです。

外観はコリント様式の高さ30mの柱を52本使った、完全にギリシア神殿を意識した建物ですが、中に入るとバロック風の内装で、ちょっとアンバランス。

でも、ナポレオンやルイ18世が命じて造らせただけあって、さすがにお金がかかっています。私は正面にあるアンリ・ルメール作の彫刻がとても印象に残りました。

他にもすばらしい彫刻がたくさんあり、美術好きな人には、お奨めの教会です。街の中心部にありますし、無料で、ミサの時間以外は、いつでも誰でも入れるので、是非入ってみてください。

2007年5月29日火曜日

フォーション

私は普段あまり有名店での買い物には興味が無いのですが、今回パリで有名な食料品店であるフォーションの前を通りかかったので寄ってみました。

店に入った感想は、「小さ~い」でした。ロンドンにある王室御用達の食料品店、フォートナム・アンド・メーソンと比べていたからでしょうか。

でも、ディスプレイはおしゃれですね。さすがにフランスです。イギリスとはちょっと違うかも。

ちょっと珍しい薔薇の花びらの入りジャムとミルクジャムを買ってみました。これが、私の今回のパリ旅行の唯一のお土産です。

マリー・アントワネットの墓

小学生の時に図書館で「悲劇の王妃」という本を読んで感銘を受けたのが、私とマリーアントワネットとの出会い。ちょうど同時期、週刊マーガレットで「ベルサイユのばら」が連載されており、リアル・タイムで読んでいました。

その後、私はヨーロッパに住むようになり、マリーが生まれ育ったシェーンブーン宮殿、ベルサイユ宮殿、プチ・トリアノン、そして革命後に囚われの身となって過ごしたコンシェルジュリー、処刑地のコンコルド広場には行く機会がありました。そして、今回はお墓です。

処刑された後、遺体はマドレーヌ墓地に埋葬されたようですが、30年ほどたって王家の墓地であるサン・ドニに埋葬しなおされました。

サン・ドニには歴代の王様の墓があり、ルイ16世とマリー・アントワネットだけでなく、太陽王と呼ばれたルイ14世やアンリ2世とカトリーヌ・ド・メディチなど、有名人がたくさん埋葬されています。

日本のガイドブックにはあまり載っていませんが、地下鉄13号線のBasilique de St-Denisの駅の近くで、カルネも使えますので、是非行ってみてください。

ポンパドゥール夫人の肖像画


フランスが一番華やかだった時代、ロココの女王と呼ばれたポンパドゥール夫人の肖像画を4つ並べてみました。

上から、34歳(ルーブル美術館のラ・トゥール作)、37歳(スコットランド国立美術館のブーシェ作)、38歳(ウォレス・コレクションのブーシェ作)、43歳(ロンドン国立美術館のドルーエ作)です。

フルジョア階級出身だったジャンヌ・アントワネット・ポワッソンは、23歳のときにルイ15世に見初められ、ポンパドゥール侯爵夫人の称号を与えられました。音楽や絵の才能もあり、百科辞典の編成を王に促したり、ドイツのマイセン陶磁器に対抗すべく、セーブル陶磁器の育成にも力を注いだ才女だったことは有名です。肖像画に百科事典やセーブル陶磁器が描かれているのはそのためです。

さすがにきれいですよね。38歳の肖像画なんて、まるで少女みたい。画家のブーシェがポンパドール夫人のお気に入りになったのは言うまでもありません。ブーシェは他にも700点以上の作品を残していますが、フランス革命で王朝が崩壊すると、彼の絵は軽薄とののしられ、二束三文で売られてしまいました。だから、ポンパドール夫人の肖像画は英国にたくさん残っているのですね。

2007年5月28日月曜日

ルーヴル美術館

ロンドン西洋美術史講座のルーブル美術館見学ツアーに参加するために、週末パリに行ってきました。

ロンドン-パリ間はユーロスターで2時間半ですから、マンチェスターやリバプールなど国内の都市に行くのよりも近いんです。今回も電車の中で居眠りしている間に、パリに着いてしまいました。

私の参加したのは、金曜日の夕方からデュノン翼、土曜日の昼からリシュリュー翼、日曜日の午前中シュリー翼を見学して、3日間でルーブルの絵画をほとんど見るという、別名「根性組」と呼ばれているコースです。参加者も、もちろん絵画大好きで、勉強している人たちばかりです。

ルーヴルに行って、私がまず驚いたのはディノン翼のイタリア絵画の展示室の天井の高さです。いろいろな美術館や宮殿に行く機会が多い私ですが、天井の高さと、大きい絵が多いのにはビックリしました。

絵も実際に見てみると、講義でスライドを見てイメージしていたのと、大きさや色が違っていたりして、やっぱり実物を見るべきだな~と思いました。

印象に残った作品については、ブログで少しずつ紹介していきたいと思っていますので、お楽しみに。

カタツムリとカエル

カタツムリとカエルは、昨日の私の昼食のメニューです。

普段あまり食べられない食材ですから、チャレンジしてみました。

私が行ったのは、オペラから2駅目のグラン・ブールヴァールの地下鉄駅近くの「シャルティエ」という、日本のガイドブックにも載っている大衆レストランですので、パリに行く機会がある方は是非寄ってみてください。

2007年5月21日月曜日

カティー・サーク

グリニッジのランドマーク的存在だったカティー・サーク号が燃えてしまいました。昨年の夏はグリニッジから遊覧船に乗る仕事があって、毎週見ていた船なので、なんだかすごくショックです。

カティー・サーク号は、1869年にスコットランドで造られた帆船でした。1870年から78年まで中国からお茶を運び、1883年から95年まではオーストラリアから羊毛を運んで来ました。オーストラリア・イングランド間67日という、帆船としては最も早い記録もつくっています。

カティー・サークの意味は、帆先に彫刻された魔女が着ていた短いシミーズのことです。

この魔女のことを説明するには、タム・オシャンティーの話をしなければなりません。タムは農夫で、友人と飲んでいて帰りが遅くなってしまいました。灰色の馬に乗り、道を急いでいると、教会の庭で魔女たちが踊っているのが見えてきました。ほとんどの魔女は醜かったのですが、ひとりだけ若くて美しい魔女がいました。彼女はカティー・サーク(短いシミーズ)しか着ていませんでした。タムは怖くなって、急いで橋の方に馬を走らせました。魔女は川を超えることができないという伝説があるからです。後ろからカティー・サークを着た若い魔女が追いかけてきて、橋を渡ろうとした所で追いつかれました。危機一髪のところで、タムは無事に橋を渡ることができましたが、彼女は馬のしっぽをつかみ、引きちぎりました。

足の速い魔女を穂先につけて、当時一番早い船として全世界に知られていたカティー・サーク号。新しいカティー・サーク号を造る計画もあるそうですが、もう本物は戻ってきません。

2007年5月20日日曜日

イングリッシュ・ヘリテージ

イングランドにはイングリッシュ・ヘリテージ、スコットランドにはヒストリック・スコットランド、ウェールズにはカドゥという、環境庁の歴史的建物指定に関する機関があります。

イングリッシュ・ヘリテージは1984年創立で、執行部は環境大臣によって任命されます。

歴史的環境に関する立法・開発を許可するかどうか決めたり、補助金について政府に助言したりするのが主な活動です。有名人が住んでいた家などにブルー・プラークをつけるのも、この機関の仕事です。

ストーン・ヘンジ、ドーバー城、ハドリアヌスの壁など約400の建築や遺跡を政府から委託され一般公開しています。ナショナル・トラストと同様、イングリッシュ・ヘリテージも、会員には、入場料の免除や、イベントへの招待、ガイドブックの送付などの特典がありますが、活動資金の85%は政府から給付されています。

ナショナル・パーク

ナショナル・パークは国の予算で運営される国立公園のことで、政府機関です。英国には14の国立公園があり、総面積はイギリスの田園地方のほぼ8%になるそうです。

国立公園の土地はほとんどが個人所有で、約17万人がそこに住み、観光業、森林管理、鉱山業、農業などの資源を基にした産業により生計を立てているのだそうです。

国立公園管理局は、自然、野生生物、文化遺産の保護・育成と国立公園の特質をより多くの人々に理解し、楽しんでもらうことが目的に作られました。ナショナル・トラストのような保護一辺倒ではなく、地域共同体の経済促進も目的としています。

2年ほど前に仕事で湖水地方のビジターセンターに行ったことがあります。自然について勉強するのでしたら、ナショナル・パークの方がいいかもしれません。

ナショナル・トラスト

ナショナル・トラストは、1894年に、イングランド・ウエールズ・北アイルランド(スコットランドは別組織)の歴史的に重要な土地や建物を永久に保存するために創られました。主な財源は会費と寄付です。所有資産総面積は2287平方キロメートルで東京都より広く、価値のある建物や庭園を300箇所所有し、一般には有料で公開しています。会員数は200万人(全人口の30分の1)で、会員になると入場料の免除、イベントへの招待、ガイドブックの送付などの特典が受けられます。

トラストの構想を思いついたのは、ロバート・ハンターという人で、公務員だった経験から国のやり方を知っており、議会に働きかける環境保存運動に限界を感じ、所有者優位の法のもとで土地を守るには、土地を獲得する力が必要だという結論を出しました。

オクタビア・ヒル女子は社会改良運動のパイオニアでした。「ナショナル・トラスト」の名付け親で、国民のための「ナショナル」、慈善性を強調するために「トラスト」という言葉を選びました。

キャノン・ローンズリーは牧師で説教や献金集めはお手の物でした。トラストのために、国中を飛び回って、PR活動をし、トラストの資金調達係として情熱的に働き続けました。ビアトリクス・ポターや、ワーズワースや、ラスキンも彼に影響されて、家や土地をトラストに寄付しています。

1930年代になると、相続税を払えないため地方の広大な敷地にある屋敷を手放す人が増えましたが、トラストは全部買う財力は無かったし、寄付されたところで維持できませんでした。そこでトラストは議会に働きかけ、維持費を生み出す農地も寄贈してもらうことができるようにしました。

海辺の土地はいつでも工場用敷地として狙われやすく、トラストは海岸線を永遠に自然のまま保存する必要を感じ、1965年から募金を始めました。目標はイギリスに残っている未開発の海岸線900マイルをトラストで獲得し、保存しようというもの。実現すれば、イギリスの全海岸線3000マイルの約3分の1を所有することになります。現在506マイル(全海岸線の6分の1)は獲得に成功しています。

日本にもナショナル・トラストがあります。1964年、鎌倉八幡宮の裏山の宅地造成計画に反対した市民が募金により1.5ヘクタールを買い取ったのが始まりで、知床や沖縄のヤンバル森林保護運動など、数十例があります。しかし日本はあまりにも開発のスピードが速すぎること、地価が高くて買取不可能であることなどで、かなり苦戦しているようです。

リスティッド・ビルディング

イギリス人は変化を望まない国民のように思われていますが、19世紀に工業化、都市化、交通網の発達と、世界で一番初めに急激に変化した国なのです。20世紀になって発展のスピードが落ち着き始めたころ、生産から、生活の質への転換が始まります。発展のために犠牲にしてきた、住環境や歴史的遺産を大切に考えるようになりました。

今週の水曜日に仕事でコッツウォルズのパブに食事に行くのですが、インターネットで場所を調べていたら、そこはグレードⅡのリスティッド・ビルディングでした。1971年から始まった全国建築物検査によってリストアップされた重要性がある建物のことをリスティッド・ビルディングといいます。グレードⅠ、Ⅱ、Ⅲとあり、その重要性を決める基準は、1840年以前の古い建物のほとんどと、建築的、社会的に特別な価値があるものだそうです。水曜日に行くパブは1720年のジョージアンの建物だそうですから、もう完全に時代物ですね。

リステッド・ビルディングに指定された建物の持ち主はそれを誇りに思い、不動産価値も上がることが多いそうですが、改築・増築には、地方自冶体の許可が、取り壊しには環境庁の許可が必要で、許可を得ないと違法になり、刑罰が処せられるそうです。また、建物の保存状態が悪い場合には、当局から警告を受け、没収される場合もあるのだそうです。

私の知り合いの日本人がグレードⅠのお城に住んでいましたが、「自分の家なのにペンキも塗れないのよ~」と嘆いていました。まあ、普通の人はそういう家に住むことはないと思うので、心配する必要もないのですけど・・・。

2007年5月19日土曜日

モネと白内障

数日前の新聞に、モネの絵のスタイルは白内障に影響されたという内容の記事が載っていました。コンピューターを使って、白内障の人の目から見た風景まで出ていて面白かったのですが、目の病気がモネの画風と関係があるというのはどうかなと思いました。

モネは印象派の代表的な画家です。印象派の画家の多くは、輪郭線でしっかり形をとることには興味がありませんでした。モネは光の効果によって、どのように水や空気や木の見え方が変化していくのかをずっと研究していました。光の印象をそのまま描くために考えたのが、分割筆触という点描の技法でした。純色の点々を画面に並べて、それを離れてみると色同士が混ざり合って別の色に見えるのを利用したのです。

ですから、別に目が悪くなくても、モネの画風は変わらなかったと、私は思うのです。

2007年5月18日金曜日

サウス・バンクの開発地域

サウス・バンクは、英国最大のターミナル駅であるウォータールー駅前、テムズ川沿いの地域のことです。仕事のために、サウス・バンクの土地を所有・開発しているコイン・ストリート・コミュニティー・ビルダーズという社会事業団体について勉強しています。

昔は、洪水の起こりやすい低湿地帯で、住民は非常に貧しく、助け合って生活していました。

1951年にフェスティバル・オブ・ブリテンが開催され、跡地はロイヤル・フェスティバル・ホール、ナショナル・シアター、ナショナル・フィルム・シアターなどになりました。1960年代にシェル石油が本拠地をサウス・バンクに移し、それ以降LWT(テレビ局)、IBMなどの企業が移転してきました。

1970年代初めには、住民は5万人から4千人に激減し、学校や店は閉鎖に追い込まれました。1974年以降、地元住民は、この地域への巨大オフィス・ビル建設計画に対して反対運動を展開しました。1977年、開発業者が当時ヨーロッパで一番高いホテルとオフィスビルの建築計画を発表したのを機に、コイン・ストリート・アクション・グループが、結成されました。

そして、住宅、遊歩道、公園、管理オフィス、ショップ、レジャー施設を含む、複合開発案を盛り込んだ計画書を提出しました。当時、土地の半分はオフィス開発業者により所有され、残りの半分はグレーター・ロンドン・カウンシル(市役所)が所有していました。1984年、カウンシルは、コミュニティー開発計画への支持を表明。1984年にはオフィス開発業者は所有地をカウンシルに売却。カウンシルはすべての用地をコインストリート・コミュニティー・ビルダーズに売却しました。

1984年から88年にかけて、コイン・ストリート・コミュニティー・ビルダーズは放置建物の解体や、テムズ川沿いの遊歩道、公園などを造りました。4棟からなる共同集合住宅220軒は、太陽熱を利用した加熱装置、濃縮ボイラー、ソーラーパネルなどを採用しています。これらの集合住宅施設は、ロンドン中心部で低賃金で仕事に従事する人のために、賃貸料を低めに設定しています。

う~ん。住民中心の開発って言うのは、とても面白いけど・・・。別に、こんな駅前の一等地に、一部の人だけが得をする住宅を造らなくていいんじゃないでしょうか?駅前にはやっぱりデパートとか、ホテルとか、作りましょうよ~。

2007年5月17日木曜日

最後の晩餐


「最後の晩餐」は何曜日だったのでしょうか。

最後の晩餐はユダヤ教の過越しの祭り(ペサハ)の食事だということです。過越しの祭りはユダヤ教の重要な宗教行事で、普通イースターの一週間前の日没から始まりました。最初の夜の食事がセーダまたはセデルと呼ばれ、とても重要だそうです。キリストの最後の晩餐もセーダということになると、月曜の夜の食事だったということになります。

でも、「共観福音書では、この夕食はユダヤ教の行事である過ぎ越しの食事となっていますが、ヨハネによる福音書では、その前日の出来事とされています」とのことでした。だから、ヨハネの方をとったら、木曜日の晩餐でもいいわけです。

まあ、どうでもいいことなんですけどね。

2007年5月16日水曜日

OXO タワー

テームズ川沿いに、OXO タワーという、ユニークな建物があります。来週の仕事の下見で、その建物に行ってきました。

有名な、OXO(オクソ・ビーフ・ストック、固形調味料)の工場があった場所です。昔は精肉が船で届けられていたのですね。地下の冷えた倉庫に保管され、その後加工、梱包されたそうです。

建築家のアルバート・ムーアは、広告設置禁止法をくぐりぬけるために、塔の窓の部分に、OXOのデザインを取り入れて、有名になりました。

現在の建物は、テームズ川南岸地域全体と共に再開発され、1996年9月に一般公開されました。地上階から2階までは、ショップやカフェになっています。コンテンポラリー・デザイナーのショップ兼スタジオでは、実際にデザイナーたちが活動するところを見ることができ、作品を購入・注文することができます。3階から7回までは住宅です。最上階の8階には、ハービー・ニコラス経営のおしゃれなレストランとバーがあります。無料展望台もあり、そこから見るロンドンの景色は最高ですよ。

2007年5月14日月曜日

バッキンガム宮殿からの手紙

私は毎年この時期に、バッキンガム宮殿からの手紙を受け取ります。今年も来ました。「お城からの手紙」が。なんか、シンデレラに来たダンスパーティーの招待状のようなイメージでしょう?着ていくドレスはどうしましょう?って。でも、残念ながら違うんです。夏のバッキンガム宮殿一般公開期間にイブニング・ガイドとして働いているので、今年の夏の予定の問い合わせです。

まあ、でも、ちゃんと郵便で手紙が来るところがいいですね~。雰囲気出てますよ。ちなみに、バッキンガム宮殿も、ウインザー城も、封筒に差出人の住所氏名は書いてありません。紋章が付いているだけなんです。赤色の紋章。それで、分かる人には、分かるんだな~。

こっちから返事を出すときは、普通の手紙です。白い封筒に、ちゃんとこっちの住所氏名を書いて、相手の住所も書いて。まあ、Buckingham Palace, Londonですけどね。

バッキンガム宮殿でのお仕事のことは、また今度ブログに報告していきますので、お楽しみに。

2007年5月13日日曜日

ミス・ポッター

「ピーターラビットのおはなし」で有名な、ベアトリクス・ポターの生涯を描いた映画「ミス・ポター」が、DVDになったので見ました。

ベアトリクス・ポッターは、ロンドン生まれ。裕福な家庭の子として育ち、毎年夏をスコットランドやイングランドの田舎で過ごしました。女の子だからと学校にも行かせてもらえず(家庭教師はいました)、近所の子供たちとの交流も禁止され、友達はペットの動物たちだけでした。

27歳のとき、知り合いの子供の病気見舞いにピーター・ラビットを書き送り、それを基に8年後に自費出版。翌年フレドリック・ウォーン社から出版された「ピーター・ラビットのおはなし」は5万冊の大ヒットになります。映画では、出版社社長の息子で、彼女の理解者であるノーマンとの恋愛と、女性の自立が中心に描かれています。

映画を見たら湖水地方に行きたくなること間違いなしです。

2007年5月11日金曜日

サリーのガーデン巡り

ガイド協会の勉強会でペインズヒル・パークとロズリー・パークに行ってきました。

交通手段はなんと、路線バスです。私の住んでいるキングストンが始発ですが、一時間に一本しかない田舎バスで、このツアーに参加するまで、その存在すら知りませんでした。

ペインズヒル・パークは風景式庭園です。グランド・ツアーでヨーロッパ(特にイタリア)に行った18世紀の貴族の間で流行した庭園スタイルで、ロランの風景画に出てくるような景色に憧れて、自然な風景を敷地全体をデザインしました。英国独特のスタイルで、「ピクチャレスク・ガーデン」と呼ばれました。しかし、あまりに自然過ぎて、日本人にはちょっと理解されにくいかもしれません。

ロズリー・パークは、モア家所有の17世紀に建てられたファミリー・ハウスと、庭園が一般公開されています。家の中はハウス・ガイドさんが案内してくれるのですが、内装、家具、工芸品、絵画、すべて素晴しかったです。庭も、バラ園、ハーブ園、ホワイト・ガーデン、果樹園、コテージ・ガーデンがあり、とても見ごたえがありました。

この路線バスでの遠足、お薦めです。

2007年5月4日金曜日

ルノワールの風景画展

ナショナル・ギャラリーでは「ルノワールの風景画展」をやっています。

ルノワールといえば、ポッチャリした女性の絵が有名ですよね。だから、70枚の風景画が、世界中から集められた・・・と言われても、なんだかなあ・・・。女性の絵がないルノワールなんて、クリープ(商品名です)を入れないコーヒーみたいです。

いや~、とてもきれいな絵ばかりなんですよ。だけど、ルノワールらしくないというか・・・、写真の絵なんか誰の絵だかわからないでしょう?

もちろん、印象派の画家なので、屋外の写生は基本です。親友のモネと一緒にカンバスを並べて描いた、セーヌ川沿いのアルジャントゥイユや、ラ・グルヌイエールの絵は有名です。そのころの絵は、モネとタッチも似ているような気がします。40歳頃から、はっきり絵の方向が分かれてくるみたいです。

「ああ、あの黄金色の乳房!もしも神が女性の乳房をつくらなかったら、私は画家にはならなかった」と言った、ちょっとHなルノワールの方がいいなあ。

知られざるモネ

モネといえば印象派の代表。光を描いた画家として有名です。

現在、東京六本木の国立新美術館でも「大回顧展モネ」をやっていますが、そちらに有名な作品が行ってしまったせいでしょうか、ロイヤル・アカデミーの「知られざるモネ展」は、地味~な展示品ばかりです。が、玄人受けするのはこちらでしょう。なんたって、「知られざる・・・」ですから。

印象派の画家は、キャンパスを持って屋外に出かけて絵を描きました。特にモネは太陽とスピードを競うように、光の変化を描くことができる画家として有名でした。瞬時の印象をとらえる外光派の画家、という表向きのイメージをつくるため、「反デッサン派」を装っていたみたいです。「スケッチブック?なにそれ」と言ったとか、言わなかったとか。

が、しかし、実際、モネは生涯に渡ってデッサンを続けていたそうです。旅行に出かける時はスケッチブックをポケットに入れ、チョークやパステルで綿密にスケッチを繰り返していたそうですよ。

それで、今回、ロイヤル・アカデミーに鉛筆やチョークやパステルによるデッサンを初めて、一堂に展示したのだそうです。なんだか、本人が隠したかった過去を暴露してしまった気がしないでもないのですけど・・・。

現在は風景画家として有名なモネは、若いころ風刺画家だったそうです。意外と人間の特徴をとらえるのがうまかったようで、有名人や地元ルアーブルの名士の風刺画を描いては一枚20フランで売っていたそうです。忠実な描写への執着があったからこそ、人生の後半で、それと決別できたとのことでした。ふ~ん、やっぱり基本は大切なんですね~。