2018年11月30日金曜日

2018年11月29日木曜日

ヘイズ・ギャレリア

ロンドン橋の近くにあるヘイズ・ギャレリアはショッピング・アーケードです。もともと19世紀半ばに建設されたヘイズ ワーフという紅茶などが荷揚げされていた波止場の倉庫でした。1987年に行われた再開発で倉庫がレストランやショップになり、おしゃれな観光スポットに生まれ変わりました。

対岸には金融街シティーが見えます。

ちょっと東側を見れば、タワー橋と

ロンドン塔がよく見えます。

2018年11月4日日曜日

聖書は何語で書かれたか?

聖書はキリスト教の聖典でありイエス・キリスト以前の預言者と神の契約を旧約聖書 (Old Testament) 、キリスト以降のキリストの言葉や奇蹟を弟子たちがキリストの死後書いたものを新約聖書 (New Testament)と称しています。
新約聖書が弟子たちにより書かれたのは紀元50年から紀元120年とされています。イエスキリストが話した言葉はアラム語で、弟子たちはヘブル語を話していましたが、聖書はギリシア語で書かれました。(バイブルはギリシア語で書物という意味)

聖書が書かれたのはローマ時代で言語はラテン語でしたが文化的にはアレキサンダー大王によるヘレニズムの世界が展開されており、多くの地域で、ラテン語よりもギリシャ語が公用語としての地位を保っていました。弟子たちは聖書をより広い地域で読まれているギリシャ語を選んだものと思われます。

2018年11月1日木曜日

モン・サン・ミッシェル

モン・サン=ミシェルは「聖ミカエルの山」という意味です。高さ約80m、周囲900mの小島で、修道院はその中央にそびえ、その下に街が築かれています。

サン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満がもっとも激しい場所として知られていて、その差は15メートル以上にも及びます。このため、かつてのモン・サン=ミシェルは満潮時には海に浮かび、干潮時に地続きとなり歩いて渡れました。激しい干満の差により、一気に押し寄せる潮に呑まれる巡礼者も多く、「モン・サン=ミシェルに行くなら遺書を置いていけ」という言い伝えが残っているほどの難所でした。1877年に対岸との間を埋め立てて道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになりました。しかし、これによって潮流をせき止めることとなり、100年間で2mもの砂が堆積してしまいました。2009年に地続きの道路が取り壊され、2014年に新たな橋が完成しました。

10月29日は朝9時36分に満潮で、夕方4時39分に干潮になります。


バス駐車場は島の対岸にあり、島へは無料シャトルバスで橋を渡ります。シャトルバス乗り場の近くにあるスーパーと観光案内所に無料のトイレがあります。


島に入ると、ラヴァンセ門、大通り門、王の門があります。参道グランド リュにはレストラン、ホテル、土産物屋が並んでいます。その先にある階段を登り続けると修道院の入口が現れます。島の入口すぐのところに有料トイレが、参道と修道院内に無料トイレが備わっています。

この島の近くのアヴランシュの司教「オベール」が、大天使ミカエルに「あの岩山に聖堂を建てよ」と言われた夢を見ました。最初はただの夢とのことで無視していましたが、同じ夢を3度も見ました。その3回目の夢でミカエルがオベールの頭に指を突き刺し、翌朝、頭に穴があいていることに驚愕したオベールは、お告げを信じて礼拝堂を建立しました。建立後、陸続きだったモンサンミッシェルの周囲は一晩のうちに海に沈み、現在のような離れ小島になったと言われています。

 しばらくは、小さな聖堂があっただけでしたが、966年にベネディクト会の修道院が建てられたことをきっかけに、何度も増築されて大きくなっていきます。14世紀に起こった英仏100年戦争で城塞になったり、18世紀のフランス革命の後に監獄になったりしました。荒廃した建物はナポレオン3世の勅命により1865年修復されました。修道士が戻ったのはそれから約100年たった1966年でした。1979年に世界遺産に登録されました。

修道院は、中世のさまざまな建築様式が混ざり合っています。教会堂はカロリング様式で、身廊はノルマン様式、百年戦争で破壊された内陣はゴシック様式に再建されました。周囲を13世紀の重層構造の修道院建築と13~15世紀の軍事施設が取り囲んでいます。1894年にゴシック・リバイバル建築の鐘楼と尖塔が完成しました。尖塔の上には金色の大天使ミカエルの像が輝いています。

修道院は迷路のように入り組んでいます。チケット売り場でオーディオガイドを借りるのが効率的でしょう(4.5ユーロ)。

哨兵の門
モンサンミッシェル修道院の入り口の門です。43段もある長い階段を上り終えた先にあります。この階段は「ル・グフ(奈落)」という別名が付くほどの急斜面です。14世紀に建てられた2つの小さな塔によって見守られ、当時はのぞき穴と警備兵の部屋もあったと言われています。 

大階段
下階の入り口から一気に上階の西のテラスにつながっている階段です。参道からは上り続きでしたが、最後の90段の階段です。聖ミカエル像を探しながら頑張って上りましょう。像は高さ4.5メートルもあり、あまりにも高くて表情までは見ることができません。

西のテラス
大階段を上り切った先が西のテラスです。1421年に崩壊する前の修道院付属教会の前庭を中心に構成されています。風がさわやかで、西はブルターニュ地方、東はノルマンディ地方など、さまざまな風景を望み、四方に海も見渡せる素晴らしい眺めを楽しめます。

付属教会
1421年の崩壊後にフランボアイヤン式ゴシック様式に修復され、ステンドグラスの色彩と、緻密な模様が見る人の心を惹きつけます。
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回廊
ほかの建物につながる通路の役目を果たす回廊は、最上階に位置し、ラメルヴェイユと呼ばれます。137本もの柱の連なりと、中庭の緑の美しさは、「西洋の驚異」と褒め称えられるほどの見事な景色を生み出しています。修道士たちの散策や会話、瞑想の場でした。

食堂
回廊の隣りには、木製の丸型天井の食堂があります。59個にもおよぶ小窓があり、優しい光が差し込んでいます。壁に沿ってテーブルが配置され、修道士たちは聖典に耳を傾けながら壁に向かい食事をしていました。会話は厳禁だったので、ジェスチャーで会話を交わしたといいます。

迎賓の間
修道士たちの食堂の真下に位置します。列柱や天井が美しい華やかなゲストルームで、フランス王をはじめ、身分の高い巡礼者を迎えました。天井まで届く大きな暖炉で、イノシシやシカを焼いて、もてなしをしたといわれています。

騎士の間
何本もの柱が上階の回廊を支えるように立っています。もとは騎士団の総会を開くためにつくられた場所でしたが、実際には修道士たちの執務室として、学習や書物の読み書きに使われていました。大きな暖炉が備わり、光を取り込むための窓も大きめになっています。

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地下礼拝堂
15世紀半ばに造られた地下礼拝堂は、厚い壁と小さな窓が特徴です。騎士の間同様に、上階の教会を支える役目があり、円周5メートルもある太い円柱10本が立っています。19世紀には修道院で裁きを受ける囚人が判決を待つ場として利用されていました。堂内には静けさが漂っています。

聖マルタン礼拝堂
11世紀の完成当時の姿をとどめる貴重な場所であり、ロマネスク様式のシンプルな造りとなっています。半円のアーチ型になっているのが特徴で、天井の高さは9mもあります。小さな窓からわずかに光が差し込んでおり、神秘的な雰囲気が漂っています。

聖エティエンヌ礼拝堂
死者を弔うための礼拝堂です。19世紀まで遺体の安置所として利用されていました。祭壇の下には、生と死を意味する「ΑとΩ(アルファとオメガ)」の文字が刻まれています。また同じ意味を持つミツバチの巣も壁に描かれているので探してみてください。

修道士の遊歩道
 2つの身廊をもつ長い部屋です。修道士たちが散歩や気分転換をするスペースとして使われていました。円形の天井の建築様式から、12世紀初めのゴシック芸術の誕生の背景がうかがえます。岩をそのまま壁として利用した部分もあり、パワースポットとされています。

大車輪
中階の修道士たちの納骨堂の手前にあります。修道院が牢獄として使われていたころ、重い荷物や食べ物を下から運ぶために設置されました。6人の囚人が中に入って、ハムスターのように大車輪を回していたそうです。


お土産

モンサンミッシェル土産で1番人気なのが、「ラ・メール・プラール(La Mère Poulard)」のビスキュイ(ビスケット)

モンサンミッシェル周辺の海から取れるゲランドの塩は有名です。


ノルマンディー地方はリンゴが特産品。リンゴを使ってできたリンゴ酒がシードル(英語でサイダーで、リンゴのブランデーがカルヴァドスです。

ノルマンディー地方は乳製品が有名で、牛乳やバターで作られたキャラメルも人気のお土産の1つです。カマンベールのような容器に入っています。


モンサンミッシェルのレストラン

湿地帯の塩分をたっぷりと含んだ牧草を食べて育った仔羊はプレ・サレと呼ばれ(フランス語で、プレは「牧草地」、サレは「塩分を含む」という意味)、柔らかで甘みが漂うラム肉は名物料理です。

19世紀後半、命がけで巡礼に訪れた人々になんとか栄養のあるものを食べさせたいと始まったオムレツ料理も有名ですが、50ユーロもする店があるそうです。良心的な価格の店に入ること。島の対岸のバス駐車場辺りの方が良心的な店が多いと思います。

「ラ メール プラール (La Mere Poulard)」
モンサンミッシェルの名物オムレツのお店として世界的に知られるレストランです。島内に入り王の門をくぐると左側にあり、赤い看板が目を引きます。アンティーク家具の多い店内はあたたかな雰囲気に包まれており、オムレツを作っている様子も見学できます。プラールおばさんのふわふわオムレツがあまりにも有名ですが、ほかにも新鮮な海・山の幸を使った数多くのお料理があり、伝統的な味が楽しめます。


「レ テラス プラール (Les Terrases Poulard)」
城壁沿いに位置し、美しい眺めを楽しみながらゆったりと食事ができる展望レストランです。 大きな窓からは陽の光がたっぷりと注ぎ込み開放感抜群です。料理は、シーフードから伝統的なマルミット、仔羊のモモ肉までシェフ自慢の品々が堪能できます。もちろん名物オムレツもあり、オムレツに前菜やサラダ、デザートなどがプラスされたお得なセットプランも充実しています。


「ル プレ サレ (Le Pre Sale - Mercure)」
おいしいプレサレが味わえることで知られているレストランです。 プレサレとは、本来モンサンミッシェル周辺などに点在する浜辺の低湿地帯のことですが、そこに生える草を食べて育ち、独特の潮の香りを持つ高級ラム肉のこともそう呼ばれています。こちらのレストランでは、そんなプレサレが、アラカルトでもコース料理でも楽しめます。店内は明るく開放感があり、ゆったりとした雰囲気です。

 「ムートン ブラン (Le Mouton Blanc Restaurant)」
修道院のすぐそばに建つノルマンディの伝統的なレストランです。大きな暖炉のある店内はあたたかみのある雰囲気で、落ち着いて食事ができます。眺めの良いテラスからはモンサンミッシェル湾の美しい景色を一望。料理は、ムール貝や牡蠣などのシーフードから、プレサレ、オムレツまでシェフ自慢の品々が幅広く揃っており、コース料理でもアラカルトでも楽しめます。

 「ル ルレ サン ミッシェル (Le Relais St-Michel)」
島の対岸に位置し、大きな窓からモンサンミッシェルを眺めながらゆったりと食事が楽しめる絶好のロケーションが魅力のレストランです。 季節の前菜から、オムレツ、仔羊のロティなど、シェフの自慢料理も幅広く、目にも鮮やかなデザートも揃っています。