2016年5月1日日曜日

ロンドンのマルクス

資本主義・帝国主義の中心地ロンドンで資本主義体制を批判し、社会主義を確立する活動をしたカール・マルクスの足跡を追ってみました。

1847年、共産主義者同盟の国際会議がここにあった「ザ・レッド・ライオン」というパブの2階で秘密裏に開かれました。その会議にはプロイセン王国から追放されベルギーに亡命していたドイツ人のマルクスとエンゲルスも参加していました。

1848年2月、シティーのリバプール・ストリートにあった小さな印刷所で「共産党宣言」が1000部印刷されました。初版はドイツ語で書かれましたが、2年後に英語版が発行されました。

 「共産党宣言」を発表した翌月、マルクスは亡命先のベルギーから追放されます。その後、ヨーロッパを転々としましたが、フランス政府からも追放され、1949年にロンドンに逃れてきました。マルクスがベルギーやフランス政府から追放されたのは、プロイセン当局が両国に彼を国外追放するよう圧力をかけたからです。英国政府も圧力がかけられていましたが、当時の首相ジョン・ラッセルは「表現の自由」を理由にマルクスを追放しませんでした。

1856年まで暮らしていた、ソーホーのアパートがあった場所。マルクス一家はその後も転居を繰り返し貧困に苦しみながらロンドン生活を続けます。

このような生活の中で、マルクスは大英博物館に通い「資本論」を書き上げました。第一巻は1867年に発行され、第二巻と第三巻は彼の死後、エンゲルスが編集刊行しました。

晩年は妻や子供に先立たれ失意と闘病の生活でした。1883年3月14日、マルクスは気管支炎と胸膜炎を併発して亡くなりました。 3月17日、エンゲルスと家族と知人によって、ハイゲート墓地に埋葬されました。

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