2012年11月29日木曜日

フローレンス・ナイチンゲール博物館

セント・トーマス・ホスピタル内にある

フローレンス・ナイチンゲール博物館に行ってきました。

ナイチンゲールは近代看護教育の生みの親です。

1820年、裕福な地主階級の両親がイタリア旅行中のフィレンツェで生まれたのでフローレンスと名付けられられました。幼少期はフランス語、ギリシャ語、イタリア語、ラテン語、哲学、数学、天文学、経済学、歴史、美術、音楽、絵画、文学など、最高の教育を受けましたが、貧しい農民の悲惨な生活を目の当たりにするうちに、将来は人々に奉仕する仕事に就きたいと考えるようになりました。
  
私たちが博物館を訪問した時、ちょうどナイチンゲールの扮装をした女性が子供たちに話を聞かせていました。

昔は看護婦は病人の世話をする召使として見られ、専門知識の必要がない職業と考えられていましたが、ナイチンゲールはイギリス各地の病院の状況を調べ、専門的教育を施した看護婦の必要性を訴えます。

1854年にクリミア戦争が勃発すると、ナイチンゲールはシスター24名、職業看護婦14名の計38名の女性を率いてトルコに向かい、後方基地の病院で働きました。その働きぶりから「クリミアの天使」とか「ランプの貴婦人」と呼ばれました。

実際に使われていたランプは提灯型でしたけど・・・。

 博物館の中には他にもたくさん資料が展示されています。

 1860年にナイチンゲール基金が45000ポンドに達すると、セント・トーマス・ホスピタル内に最初の看護学校が設立されます。その後、各地に看護婦養成学校が作られました。

ところで、国際赤十字本部がナイチンゲールの誕生日(5月12日)に国際看護師デーを制定したり、

傷病者や障害者または紛争や災害の犠牲者に対して偉大な勇気をもって献身的な活躍をした者や、 公衆衛生や看護教育の分野で顕著な活動あるいは創造的・先駆的貢献を果たした看護師に対してフローレンス・ナイチンゲール・メダルを贈ったりしていますが、

ナイチンゲール自身は、実際は赤十字の活動には関わっておらず、むしろボランティアによる救護団体の常時組織の設立には真っ向から反対していたのだそうです。現実のナイチンゲールはかなり気難しい人だったようです。

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