2017年2月10日金曜日

テート・ブリテン イギリスの絵画 ラファエロ前派 ミレイ、ロセッティ、ハント、バーン・ジョーンズ

 
テート美術館で一番人気の部屋がラファエロ前派が飾られている部屋

ミレイ、 オフェリア 1851-52
ミレイは11歳でロイヤル・アカデミーの付属美術学校に入学しました。当時の美術学校の教育は古代ローマやルネッサンス時代の巨匠の名作を学べという方針でしたが、ラスキンは自然をその隅々まで制裁に描き出すことを提唱しました。学生ミレイ、ロセッティ、ハントはラスキンの教えを守り、ラファエロ以前の初期ルネッサンスの画家たちに戻ろうと考え、ラファエロ前派を作りました。
ハムレットに父親を殺されたオフェーリアは正気を失い足を滑らせて小川に落ちてしまいます。1851年7月から10月までユーエルのハグスミル川で背景を描くのに費やした。モデルはエリザベス・シダル。

ミレイ、両親の家のキリスト 1849-50
キリストは彼らが造っている木の扉の左手にあるクギで手を傷つけてしまい、血がその足の上にも落ちています。十字架にかけられることの予兆です。洗礼者ヨハネは水を運んでいます。
この場面はオックスフォードの大工の仕事場を基に描きました。

ミレイ、マリアナ 1851
自然のすべてを忠実に描くという考えで、細かい観察による写実、細密な描写が特徴で、「オフェーリア」は花びらや葉の一枚にいたるまで細部描写がなされています。描くのに非常な集中力と労力が必要で、やがて細部にこだわらない画風に切り替え、ラァエロ前派は1853年ごろには自然消滅しました。のちにミレイはロイヤル・アカデミーの院長になります。

ミレイ、ワイヤット夫人と娘サラ 1850
ミレイは25歳の時にラスキンの妻のエフィーと結婚しました。

ロゼッティ 受胎告知 1849-50

ロセッティ ベアータ・ベアトリクス 1864–70
ダンテの「新生」でベアトリーチェは1200年に24歳で死を迎えましたで。この絵は亡くなった妻エリザベス・シダルに捧げるために描きました。ベアトリーチェの顔は明らかにエリザベスの肖像です。エリザベスはアヘン接種過多で亡くなりました。

ロゼッティ 花嫁 (1865-66)

ロゼッティ プロセピナ 1874
冥府を司る神ハデスに冥府に誘拐されて妻となった。母のデメテルが、娘がいなくなったことに気づき、娘を連れ戻そうとするが、冥府で石榴の実を食べてしまったため、冥府の食べ物を食べた者は、冥府に属するという神々の取り決めにより、1年のうち半分を冥府で、残り半分を地上で過ごすこととなった。プロセルピナが地上に戻る時、春となり大地は潤うようになった。

ロゼッティ サンクタ・リリアス 1874


ホルマンハント 目覚め 1853
セント・ジョーンズ・ウッドに囲われている愛人を描いています。愛人の膝に座って歌を歌っていましたが、そこから跳ね起きようとしています。良心の危機に直面し改心しようとしています、

 ホルマンハント クラウディオとイザベラ 1850

バーンジョーンズ リンゴを取る女性たち 1876
バーミンガムで育ったバーン・ジョーンズは神学を学ぶためにオックスフォード大学に入学しました。モリスと知り合い、ラスキンを読み、ラファエル前派の絵画を見て芸術家を志します。イタリアを旅行した時見たボッチチェリの影響を受け、少女マンガのような自己様式を完成しました。モリスと共にステンドグラスやタピストリーのデザインを手がける会社を立ち上げました。

バーンジョーンズ 黄金の階段 1880
バーンージョーンズは聖書や中世の歴史・文学から主題を得た神秘な世界を描きました。

バーンジョーンズ  コフェツア王と乞食の娘 1884
アフリカの王コフェチュアは女嫌いでしたが、ある日宮殿の窓から外を眺めると門のところにたむろする乞食たちの中に美しい娘を見つけ恋に落ちました。コフェチュアは彼女を王妃にすることにします。

バーンジョーンズ 愛と巡礼者 1896-97

ウォーターハウス シャロットの女 1888
アーサー王物語の騎士ランスロットの愛を得られぬことを知って悲しみのあまりに死を選ぶ乙女を描いた作品です。

ウォーターハウス 聖エウラリア 1885
1849年、ローマ生まれます。5歳でサウスケンジントンに住みます。21歳でロイヤルアカデミーに入り、タデマやレイトンに影響を受けた古典的な作品です。

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