2011年10月14日金曜日

テート・モダン美術館 

テート・モダン美術館には20世紀と21世紀の世界の現代アートが展示されています。

建物は1947年にジャイルズ・ギルバート・ス コットの設計で立てられた火力発電所で、1981年に原油の上昇の煽りを受けて閉鎖され、スイスの建築家ジャック・ハルウォーグとピエール・ド・ムロンの 設計によって改修され、2000年5月にテート・モダン美術館としてオープンしました。

火力発電所時代にタービン室として使われていたタービン・ホールは、世界最大の展示室で、毎年新しい作品がユニリーバー・コミッションによって選ばれます。 今月からの新しい展示はタチタ・ディーンのフィルムです。

常設展示は、レベル3とレベル5に展示されています。絵画や彫刻だけでなく、ビデオやパフォーマンスまでアートと考えられています。

レベル5の西側 未来派、キュビスム、ポップアート)

ウンベルト・ボッチオーニ(1882-1916)
「空間の中のユニークな連続の形態」 1913年
イタリアでは1909年に未来派宣言が発表され、「うなりを上げる自動車はサモトラケのニケより美しい」と、古代文明の彫刻より猛スピードで走る車の美しさを称えました。未来に向かって大またで進むボッチオーニの機械人間は、科学技術の時代への期待感を現しています。

ロイ・リキテンシュタイン (1923-1997)
「Whaam!」 1963年
リ キテンシュタインは従来の絵画からの脱皮をはかり、大衆文化に目を向け、漫画に題材を求めた。彼は、攻撃的な題材をどのようにして機械的な手法で描くかに 興味を持っていました。当時の人々は、単に漫画をコピーしただけと批判しましたが、実際は元の漫画を拡大しただけでなく、細かい部分を取り除き、様式化し たイメージに仕上げています。

パブロ・ピカソ (1881-1973)
「果物鉢とヴァイオリンと瓶 1914年
1907 年から14年の間パリで活動したピカソとブラックはセザンヌの絵画とアフリカの部族芸術に触発され、キュービズムと言う新しい芸術様式を打ち立てました。 キュービスムとは、従来の静物画の題材を一転からではなく、一度に多数の視点から捉え、その断片を配列した絵画です。
果物鉢は画面の上に、ヴァイオリンは中央に、ボトルは右上に見えます。油絵ですが、一部に紙を切り抜いた破片に似た部分があり、作品に多面性を与えています。

アンディ・ウォーホール(1928-1987)
「自画像」 1986年
シ ルクスクリーンの技法を用い、派手な色彩で同じ図版を大量に生し、アートを記号化しました。その絵柄はわかりやすく、ポッ プ・アートとして人気を得ます。資本主義や大衆文化のもつ大量消費、空虚さが表現されていると見ることもできます。銀髪のカツラがトレードマークの作者 は、自画像も多く制作しており、マスコミが作り出す自分のイメージさえ楽しんで受け止めていました。


レベル5の東側抽象、ミニマリズム)

マレーヴィッチ(1878-1935)
「ダイナミック・シュプレマティズム=動的な絶対主義」1915年
マ レーヴィッチはモスクワでキュビスムを吸収し、そして色面と線による単純明快な絵画構成が生まれました。マレーヴィッチはロシア革命の前に、白地の上に黒 い正方形という究極の抽象画を発表し、一躍美術界のカリスマになります。ロシア革命を生き、革命後も第一線で活躍しますが、スターリンが権力を持つと、具 像絵画に戻ります。

ルチオ・フォンタナ(1899-1968)
「空間の概念「待つ』 1960年
キャンパスをナイフで切っただけですが、絵画の世界は所詮空虚な世界だという解釈だそうな。

ニキ・ド・サンファル(1930-2002) 
「射撃絵画」 1961年
本名はカトリーヌ・マリ・アニエス・ファル・ド・サンファル。パリ生まれ、アメリカ育ちで、22歳でパリに戻りました。1961年に『射撃絵画」を発表して、センセーショナルなデビューを果たしました。1982年にポンピドゥー・センター隣の広場の自動人形の噴水を作成。

ギルバート(1943~)&ジョージ(1942~)
「DEATHO KNOCKO」 1982年
二人はロンドン芸術大学のセントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインで彫刻を学んでいる時に出会いました。格子がはまったステンドグラスのような巨大な作品群は有名。モデルは花や手足、ストリートの若者達、不良少年がステンドグラスのような大画面に、聖者たちのように配されています。

カール・アンドレ(1935~)
「鋼鉄と亜鉛のプレート」 1969年
こ の作品は研磨した金属タイルを並べたシンプルな構成で、普通の工業素材の美しさを表しています。作品の上を歩かせることによって、視覚だけでなく、触覚に も印象を与えています。ミニマリズムは、製作過程の痕跡を作品に残すことを嫌い、工業用素材とスムーズな表面を好み、製作過程を加工業者などに依頼するこ ともあります。素材の美しさ、親しみやすさ、目で見るだけでなく体全体で感じることができるような作品が多いです。

3階西側 (シュルレアリスム)
精神分析学者のフロストの夢と精神に関する研究に感化され、夢と現実を統合することによって、心の奥に隠された部分を探ろうと試みました。

ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)
「詩人のためらい」 1913年
デ・ キリコは夢の世界を思わせる絵画を描いていました。通り過ぎる機関車、やがては腐るバナナは近代社会を表しています。古典的アーケードやギリシア彫刻は時 間の超越を意味し、彫像とバナナと機関車は性的な意味があります。間違った遠近法は夢想的効果を高めています。キリコは汽車に見せられており、それを日常 的なリアリティから奇妙で異国的な場所へとすばやく移動させる魔法の手段のように見ていました。

ポール・デルヴォー(1897-1994)
「眠るヴィーナス」 1944年
無表情な女たちがたたずむ幻想的な世界を繰り返し描き出したデルヴォー。裸で横たわるヴィーナス、直立する骸骨、ギリシア神殿、荒涼とした山々は、彼の主要なテーマです。この作品は画家が47歳のときナチス・ドイツの占領下のブリュッセルで製作されました。


パブロ・ピカソ(1881-1973)
「3人のダンサー」 1925年
3 人が室内のフランス窓の前で踊っています。ピカソがこの絵を描いているときに、旧友のピショが死にました。1900年、ピショはピカソと共に初めてパリに 長期滞在しました。もう一人の若い画家カサヘマスも一緒でした。カサヘマスはジュルメーヌという若い女性に恋をしますが、彼女はカサヘマスを拒み、彼は自 殺します。彼女はそのすぐあとピショと結婚しました。3人のダンサーで左で踊る女は尖った歯とグロテスクに露出した胸を持っており、スカートの外側に生殖 器をつけた粗野なイメージで表されています。彼女は性によって男を破滅させる女性であり、ジェルメーヌを表しています。右側のダンサーはピショを現してい ます。真ん中の磔のポーズはジェルメーヌとピショの間で死んだカサヘマスを表しています。

パブロ・ピカソ(1881-1973)
「裸婦と赤い椅子」 1932年
1927 年、45歳のピカソは17歳のマリー・テレーズに会います。彼女は肉付きのいい引き締まった体をしており、背は低く胸は大きく、鼻筋が通った古典的な横顔 をしており、髪はストレートなブロンドを短くそろえていました。顔の青い方は別人。ピカソは、キュビスムの自由さを通してのみ可能な方法により、二つの体 を融合させ、愛の理想的なイメージを生み出しました。

パブロ・ピカソ(1881-1973)
「裸婦と緑の葉と彫刻」 1932年
これもマリーテレーズをモデルに描いたものです。

パブロ・ピカソ (1881-1973)
「裸婦とネックレス」 1968年
1961 年にピカソは2度目の結婚をします。ピカソの後期の作品は、並外れたエネルギーと自由さによって女性像という中心的なテーマへ没頭したことによって特徴付 けられます。このえの生命力は、花火かしぶきのように人物の背後に上向きに吹き出る白い絵の具で塗った雲によって表現されています。顔は穏やかで冷静。マ ネのオランピアを意識しています。

レベル3東側 (抽象主義)
第 2次世界大戦後、多くのアーティストがヨーロッパからアメリカへ移住することによって、文化の中心はパリからニューヨークに移り、抽象表現主義と呼ばれる 新しい表現法が発達しました。直感的な描画方、例えば絵の具をたらしたり、覆ったり、民族芸術や子供の作品や落書きにまでインスピレーションを求めまし た。

アニッシュ・カプーア (1954~)
「イシの光」 2003年
見る人が、卵のような内に包み込まれ、声は何十にもこだまして返ってくる。光の柱は中央にあり湾曲した内部の反射が作り出している。

バーネット・ニューマン(1905-1970)
「アダム」 1952年
ニュー マンの作品は抽象画でありながら、存在の神秘をテーマとしています。縦に走る線は聖書の諸世紀の天地創造を表す光の帯に由来するのだそうです。また。赤い 縦縞は直立した人間の身体を極限まで簡素化したものを表現したのだそうです。「アダム」は人類最初の人間にちなんで名付けられました。


マーク・ロスコー (1903-1970)
「えび茶色に黒」1958年
こ の作品はニューヨークのフォー・シーズンズ・ホテルのレストランを飾る壁画として描いたものですが、仕事が進むにつれて、最初に思い描いていたものよりど んどん薄暗くなっていったため、最終的にロスコはレストランの壁画を設置しないことにしました。彼の絵を特権階級の食事の背景にしたくないという理由から でしたl1965年、ロスコは自分の絵がターナーと同じ建物にあればという重いから、テイと・ギャラリーへの寄贈を提案しました。画家がまとまりなるグ ループをなすように選び、その作品専用の部屋を設けることが条件でした。1969年に手続きが完了し、えは1970年に到着しましたが、到着日にニュー ヨークからロスコの死を知らせる電報が届きました。この絵を見ていると落ち着くと思う人が多いようです。


ジャクソン・ポロック (1910-1955)
「サマータイム」 1948年
ポロックは床に置いた大きなキャンパスの上に絵の具を注いだり垂らしたりする手法を開発しました。抽象的ではありますが、そこから現れるパターンは雰囲気に富み、踊り子の行列に見えてきます。

アンリ・マチス(1869-1954)
「エスカルゴ」 1953年
マ チスの84歳のときの作品。彼は、晩年絵を描くことができなくなったので切絵で表現することを思いつきました。弟子に色を塗らせた紙を、マチスが大まかな 形に切り取り、下塗りしたキャンパスに、厳密な指示に従って、弟子が貼り付けていきました。この作品の題名はカタツムリです。


フェルナン・レジェ(1881-1955)
「曲芸師とそのパートナー」 1948年
晩 年の10年間、働く人々の余暇活動、サイクリング、水泳、ピクニック、音楽、サーカスといった活動をレジェは人間の自由の実態あるシンボルと見ていまし た。サーカスはこうしたテーマの中で最も重要なもので、曲芸師とパートナーはヒーローでした。曲芸師と彼の周りの円は動きを表します。椅子やはしごの直線 は静を表し、対比をなしています。

パブロ・ピカソ(1881-1973)
「ヤギの骸骨と瓶と蝋燭」 1952年
戦争の死の妄想を衝撃的に表した作品で、ジグザグの断片的なフォルムを用いて徹底したモノクロームで描かれています。

アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)
1950 年頃から作られはじめた人物像は、肉付けも凹凸もなく、「彫刻」としての限界と思えるほどに細長い。それにもかかわらず、その生き生きした人間の存在感を 感じます。物は遠く離れると小さく不鮮明に見え、ジャコメッティの彫刻はあたかも遠くから見ているような錯覚を起こします。古代イタリアのエトルリア文明 にも細長く引き伸ばされた人物彫刻があり、それとの関連も指摘されています。スイスの100フラン紙幣に、彼の肖像が描かれています。

先月までタービン・ホールに展示されていたアイ・ウェイウェイの「ひまわりの種」も、常設展のレベル5に移動していました。

景徳鎮で職人を動員して、時間と手間をかけて作られた数百万個のひまわりの種です。

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