2008年2月15日金曜日

ヘンリー8世の妻たち

ヘンリー8世は、英国史で一番有名な王様です。ハンプトン・コートで、ヘンリー8世の妻たちの足跡を捜してみましょう。

最初の妻はスペイン王女のキャサリン・オブ・アラゴン。お母さんは有名なイザベラ女王です。

枢機卿であり、大法官であったトーマス・ウルジーがハンプトン・コート宮殿を建てた時、ヘンリー8世の王妃であるキャサリンのために滞在用の部屋も特別にしつらえました。ヘンリー8世はキャサリンと24年間結婚していましたが、王子ができなかったので、ヘンリーは離婚を考えます。枢機卿のウルジーは、ローマ法王に離婚の許可をもらいにいきますが、うまくいかなかったためウルジーは失脚し、ハンプトン・コートも王に引き渡すことになります。

宗教改革してまでしてキャサリンと離婚し、正式に結婚した2番目の妻アン・ブーリンですが、王子を産まなかったので、ロンドン塔で処刑されます。

アン・ブーリン・ゲートにある紋章には、アンとヘンリーのイニシャルであるAHの字が刻まれています。

3番目の妻ジェーン・シーモアはハンプトン・コートで王子を産みますが、産後の肥立ちが悪くジェーンはここで息を引き取ります。

グレート・ウォッチング・チェンバーでは天井にジェーンの紋章、暖炉の上に肖像画を見ることができます。

4番目の妻は政略的に結婚したクレーヴ(ドイツの一部)の王女アン。肖像画では気に入ったのですが、実際に会ってみたらヘンリーの好みではなかったようで、すぐ離婚してしまいます。あまりに早く離婚したので、ハンプトン・コートには思い出の場所もありません。

5番目の妻は30歳以上年下のキャサリン・ハワードです。結婚からわずか1年3ヵ月後、不貞の疑いで囚われの身になりました。

ハンプトン・コートの自室に軟禁されているとき、監視の目を盗んでこの廊下を走りぬけ、王に直訴するため礼拝中の王がいるチャペルを目指しましたが、扉の一歩手前で監視兵に捕まります。最終的にはロンドン塔で処刑されてしまいます。ハンプトン・コートには泣き叫びながら走るキャサリンの幽霊が出ると言われているホーンテッド・ギャラリーという廊下があります。

6番目の妻キャサリン・パーは未亡人。病気がちのヘンリーに献身的に仕えました。

1543年にはチャペル隣の王妃の控えの間で、結婚の儀を挙げています。キャサリン・パーはヘンリーよりも長生きします。

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