2008年2月11日月曜日

セザンヌ

ポール・セザンヌは1939年、南フランスのエクス・アン・ブロヴァンスに生まれました。父親は帽子販売業で財を成した銀行のオーナーでした。デッサン教室に通い、画家への夢を暖めていたセザンヌですが、父親の意見に従って法科大学に入学します。それでも絵画への思いを断ち切れず、父親を説得して、22歳のときにパリへ向かいます。この絵は21歳の頃、父親のルイ・オーギュスト・セザンヌを描いたものです。

国立美術学校の入試に失敗。サロンでも落選してしまいます。画塾でピサロと知り合い、ルノアール、モネ、マネとも出会います。30歳のときモデルだったオルタンスと同棲、33歳で息子が生まれます。ピサロに誘われ、セザンヌ一家もパリ郊外のポントワーズに移住し、ピサロから光あふれる色彩の風景画の書き方を勉強しました。

35歳のとき、ピサロに説得されて第1回と第3回の印象派展に出品します。しかしあまりいい評価を得ず失望したセザンヌは、故郷のエクス・アン・プロヴァンスに帰る決心をしました。47歳のとき、父親がなくなり、莫大な遺産を相続し、父の別荘に引きこもり制作に没頭しました。故郷でサンと・ヴィクトワール山を描き続けました。53歳の時にはエクス郊外にアトリエを建てました。アトリエから丘を登ると、そこから眼下に広がる平野の向こうにサント・ヴィクトワール山が見えます。晩年のセザンヌはこの丘からの眺望を数多く描きました。

56歳のときにパリで個展が開かれ、セザンヌの評価が高まりましたが、社会的成功には無関心でした。67歳のとき、写生中に嵐にあってずぶ濡れになったのが原因で亡くなりました。最後の作品がこの「水浴する人々」(3部作)です。



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