2008年2月11日月曜日

モネ

1840年、クロード・モネはパリに生まれ、5歳のころ両親とル・アーヴルに移住しました。戯画で小遣い稼ぎをしていた少年にブーダンは戸外の光の下で製作することを教えます。18歳のとき、パリに行き画塾でピサロ、ルノワール、シスレー、バジールと出会います。29歳のとき、モネはルノワールと共に行楽地ラ・グルヌイエールの風景を描きます。これが、印象派の始まりだと言われています。

30歳のときに普仏戦争を避けてイギリスに行きますが、そこでターナーを研究しています。

1874年、モネ、ルノワール、ピサロ、ドガなどがサロンに対抗して展覧会を開きました。モネの「印象ー日の出」は激しい批判を浴び、このときジャーナリストが彼らのことを「印象派」と名づけます。

1877年にサン・ラザール駅を12点描いています。この駅からは故郷ル・アーヴルに向かう鉄道が延びていました。

1888~91年「積み藁」30点の連作、1891年には「ポプラ並木」15点の連作、1892~94年は「ルーアン大聖堂」33点の連作、1899~1905年「国会議事堂」10点を描きました。

同じモチーフが時間や光の加減で変化していく様子をとらえています。


1883年に字ヴェルニーの家を購入してからは、庭の設備と手入れに熱中し始めます。

1893年には隣接する土地を購入し、リュ川から水を引き込んで睡蓮の池がある日本庭園を創り始めます。1899年から1926年までの間、モネは睡蓮の池を描き続けます。

後年は白内障に苦しみ、製作に支障をきたすようになりますが、86歳でジベル二ーで亡くなるまで制作を続けます。


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