2016年2月29日月曜日

イギリス王室のダイヤモンド コイノールとカリナン

世界最大のダイヤモンドは英国王室が所有しています。

コイヌール(1861カラット)は今から500年前にインドで発見されました。男性が持つと不幸になり、女性が持つと幸福になるという伝説を持つコイヌールはインドの権力者たちの間を転々としました。インドが英国の支配下に置かれると、コイヌールはイギリスの東インド会社の手に渡り,ヴィクトリア女王に献じられ、1850年に開催された万国博覧会に展示されています。その後イタリアの宝石師によって106カラットまでカットされ、現在はクイーン・マザーの王冠に輝いています。

カリナン・ダイヤモンド(3024カラット)は1905年に南アフリカで採取されました。当時のダイヤ鉱山のカリナン会長の名前が付けられました。カリナンはエドワード7世戴冠の献上品として英国に渡り、英王室はそれを9つに分けて、最大のもの(530カラット)は王錫に付けられました。

コイヌールとカリナンは、現在ロンドン塔で見ることができます。

2016年2月28日日曜日

V&Aで見るジュエリーの歴史 古代エジプト 2850-525BC



de古代エジプトの装飾品は宗教色が強く、金を中心に、ラピスラズリ、コーネリアン、トルコ石、ガラスを使って、スカラベ、鷹、蓮の花、パピルス、ホルスの目などが作られました。
ラピスラズリと銀は国外から輸入しなければなりませんでしたが、それ以外の素材のほとんどをエジプト内もしくは周辺地域で手に入れることができました。
クレオパトラのお気に入りだったエメラルドは紅海で採取され、ジュエリー制作は神殿や宮殿に備え付けの大規模な工房が行いました。
宝石は政治的権力と宗教的権力の象徴に使い、副葬品としても使われました

2016年2月27日土曜日

V&Aで見るジュエリーの歴史 古代ギリシア2500BC-538BC  ヘレニズム期335~35BC

古代ギリシアのジュエリーは金がほとんどです。ヘレニズム期になると、七宝や真珠、色石などが加わり、金で作った花模様などを繋ぎ合わされたような複雑な頭飾りなどが作られました。













2016年2月26日金曜日

V&Aで見るジュエリーの歴史 エトルリア 700BC-300BC 



エトルリアは、現在のイタリア・トスカーナ地方に紀元前7世紀頃あった国で、金銀細工に秀でていました。宝石類はほとんど使用しませんでした。驚くほど微細な細工を施されており、どうしてここまで精緻な加工ができたのかは謎です。文字を持たなかったので、言語や生活、宗教など謎の多い民族です。

2016年2月25日木曜日

V&Aで見るジュエリーの歴史 ケルト 700BC -300BC

紀元前5世紀頃英国やアイルランドの渡ったケルト民族は金属の細工に優れており、金や銀、



ブろんズなどを用いた多くの装身具や武器、実用具が残っています。
 最大の特徴はほとんどが金属だけで作られたもので、宝石類の使用はまれでした。
フィビュラと呼ばれる安全ピンの形をした服の留め具(タラブローチ)が最も有名です。ボタンがない時代厚手のい服の合わせ目を留めるための実用具です。

ルヌラエ 金を打ち出したジュエリーで用途不明 800-700BC



2016年2月24日水曜日

V&Aで見るジュエリーの歴史 ローマ 27BC~400AD

古代ローマ人は天然の金を加工して、留め金やネックレス、イヤリングやブレスレット、香水入れのついた大きなペンダントなどを作りました。カメオが盛んに作られました。ガラスのビーズや真珠も材料にしています。スペインで金鉱山を手に入れ、スリランカからサファイアを、インドからダイヤモンドを輸入し、エメラルドや琥珀も使用していた。支配下のイングランドでは黒玉 (化石化した木材) を彫刻してジュエリーを作っています。

ローマのジュエリーは他人の邪視を防ぐことが主な目的のひとつで、女性は多くのジュエリーを身につけており、男性は通常、指輪のみ着用しました。ローマ人が着けた指輪には石が取り付けてあり、その石に彫刻をほどこし、蝋で文書に封をするために使われました。この風習は中世まで続き、王侯貴族が同様の方法で文書の封をしています。









2016年2月23日火曜日

V&Aで見るジュエリーの歴史 アングロサクソン 500-600

アングロサクソン・ジュエリーの特徴はディスク・ブローチと呼ばれる円形のブローチで、実用具として発展しました。素材は金と銀、ブロンズで、ガーネットや七宝が埋め込まれたものもあります。
激しく活動した民族のせいかベルトのバックルも出土しています。


ブローチ





2016年2月22日月曜日

V&Aで見るジュエリーの歴史 ビザンチン 395-1453

ビザンチン文化とはローマ帝国分裂からコンスタンチノーブルの陥落までの約1000年間の東ローマ帝国のギリシャ正教を基礎のした宗教色の強い文化です。


クロワゾネという有線七宝で、聖人、天使、キリストなどをカラフルに描きました。東方との貿易で色石が輸入され、ビザンチンのジュエリーはカラフルなものが多いです。




2016年2月20日土曜日

V&Aで見るジュエリーの歴史 ルネサンス 1500 - 1720

15世紀のイタリアで古代ローマを範とする思想が生まれました。この時代の王侯貴族や裕福階級の人々は芸術家のパトロンとなって多くの美術品が作られました。重たくて厚みがあるペンダントがたくさん作られました。



 1500-1620

 1540-1650

 1540-1650

 1800-1900 ルネッサンスのコピー

 1550-1650

 1590-1620

 1500-1630



2016年2月19日金曜日

V&Aで見るジュエリーの歴史 バロック 1600-1700

女性の服装が硬い突っ張ったようなドレスからやわらかい素材のデコルテという胸が大きく開いたドレスになり、髪も結い上げられるようになります。髪飾りと、大柄なブローチが登場します。
バロック末期にはダイヤモンドとルビー、エメラルドが多用されるようになり、これまでの全体を丸く磨り上げたカボション・カットからテーブルカットへと変化していきます。





 1600-1700

 1620-1720

 1620-1720

 1620-1720

 1620-1720

 1620-1720

1620-1720
 
1620-1720

2016年2月18日木曜日

V&Aで見るジュエリーの歴史 ネオ・クラシシズム 1750-1830

1748年にポンペイの遺跡が発掘されると古代のデザインに関心が高まりました。それを新古典主義といいます。この時代の特徴は同じ素材、同じデザインで作られたネックレスとイヤリング、ブローチ、ブレスレット、ティアラのセットで、3点以上のものをパリュール、ネックレスとイヤリングなど2点の組み合わせをドミ・パリュールと呼びます。デザインは花綱、木、枝、葉、リボンなどが好まれました。



1750-1800

 1720-1800

 1730-1800

 1730-1800

 1816-17 シャーロット王女の結婚と死

 1700-1820

1700-1800

1760-1800 ガラスとウエッジウッド



ジュエリーが王侯貴族のために作られていた。金やダイヤモンドが非常に希少な存在だったこと。
そのため、金はきわめて薄く加工され、ボリューム感を出す工夫が随所に見られます。ダイヤモンドはこの時代に磨くことで光ることがわかり初め、ダイヤを停めている台座の裏を空けたオープンセッティングが現れている。ランスに持ち込んだ人物である。

2016年2月17日水曜日

V&Aで見るジュエリーの歴史 ナポレオン時代 1804-1814

 ナポレオンは自らをローマ皇帝を称して古代ローマ風のジュエリーを多く作らせました。フランス革命で散逸したフランス王室の宝飾品を回収したり、征服した土地の遺物を収奪し、パリに宝石彫刻学校を開設させ、集められたカメオなどは自分好みのティアラやネックレスなど新しいジュエリーとなりました。




ナポレオンとジョセフィーヌ

1780-1830 カメオ



 1760-1880 カットスチール

1795-1840 革命後のフランス




皇后マリー・ルイーズは文字遊びのブレスレットを考えました。

2016年2月16日火曜日

V&Aで見るジュエリーの歴史  ヴィクトリアン初期 (1837~1861) センチメンタリズム 文字遊び ナチュラリズム




1837年に ヴィクトリア女王が即位します。若い女王は大粒のガーネットのジュエリーと、トルコ石のジュエリーを好みました。月や星、花や木、青い鳥、リボン、ハートなどのデザインが流行り、文字遊びのジュエリーも流行しました。


産業革命による工業化や、貿易の広域化から新興の裕福な階層が生まれ、ジュエリーの需要が増加した時代で、オーストラリアとカリフォルニアで新しい金鉱山が発見されて、金を贅沢に使ったジュエリーが現れます。


 

1820-1850

 1820-1870

 1820-1850

 1790-1840 ナチュラリズム




1810-1850 生と死
 ナチュラリズム 1800-1880


 
 旅の土産 1820-1900

 トルコ石 ビクトリア女王がブライドメイドの青い鳥を贈った

 サンゴ
 万博 1851