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2010年6月25日金曜日

ミドル・テンプル・ガーデン

ミドル・テンプルの庭が夏の午後だけ一般公開されています。

ここは法学院。

法廷弁護士、検事、裁判官の卵が勉強するところです。

歴史ある建物。

シティー・オブ・ロンドンとウエストミンスターの街境に立つドラゴンの像。

川の方から見たミドル・テンプル全体像。

こちらは門の外側?

バラの花が美しい~。

法学院生の生活をちょっとだけ覗けたような気がします。

2008年10月25日土曜日

ミドル・テンプル・ホール

オープンハウスを利用して、ミドル・テンプル・ホールに行ってきました。

1312年にフランス国王フィリップ4世の陰謀で、教皇クレメンス5世は正式にテンプル騎士団の廃止を決め、

英国でもエドワード2世がここにあったテンプル騎士団を解散させてしまいました。

その後、ここは法律家を養成する場となり、1608年にジェームズ1世により、土地・建物はすべて法学院に譲られました。

扉のThe lamb and flagは、復活したキリストを象徴しています。

1573年に完成したホールの中です。

正面にはチャールズ1世の絵。

壁には紋章。

普段ここは法学院のダイニング・ホールとして使われているのだそうです。

1602年にシークスピアが「十二夜」を初演したことでも知られています。

2008年10月24日金曜日

テンプル・チャーチ

テンプル・チャーチは法律弁護士事務所の建物が多く集まる静かなオフィス街にあります。ダヴィンチ・コードに書かれているように巨大ビル街の陰に隠れているわけではありません。

オープンハウスの日に行ったら、普段開かれることがない西側の扉が開かれていました。

この教会は1185年2月10日にエルサレム総主教ヘラタレイオスによってテンプル騎士団に献堂されました。1096年の第一回十字軍の終了後、ヨーロッパ人によって確保されたエルサレムへの巡礼に向かう人々を保護するために設立されたのがテンプル騎士団です。

テンプル騎士団の特徴は、構成員が修道士であると同時に戦士だったということです。しかも王族や貴族たちの財産を預かる中で、中世に独自の金融システムを発達させ、国際銀行の元祖ともいうべき役割も果たしていました。フランス王フィリップ4世の陰謀により、1307年に騎士団は解散させられ、以後19世紀まで異端とされていました。

ダヴィンチ・コードに「十体の石の騎士。左に五体。右に五体。等身大の彫像が、仰向けの安らかな姿勢で床に横たわっている。騎士たちは鎧一式に盾と剣といういでたちで忠実に再現されており、まるで眠っている隙に何者かが忍び込んで石膏で固めたかのような、不気味な印象を与える。」と書かれている石像たち。

「彫像はどれも風化が激しかったが、一体一体にはっきりした特徴があり、武具の細部や、腕と足の位置、顔の表情、盾の模様が異なっている。どの騎士も仰向けだが、三人は脚をまっすぐ伸ばし、あとの二人は交差させている。着ているものをよく見たところ、ふたりは鎧の上に外衣をはおっているが、ほかの三人は足首に達する長衣を身に着けている。ふたりは剣を持ち、ふたりは祈り、ひとりは両腕を体の横につけている。」

足を組んでいるのは十字軍遠征で亡くなった騎士であるという意味です。

「封印された石の棺が置かれている。棺は台形で頭の側へ向かうにつれて広がっており、山形の蓋がついている。」とダヴィンチ・コードにも書かれているこの石棺。ラングドンじゃなくても、「なぜこの騎士は隠れているんだ」と思いますよね~。

2007年12月19日水曜日

テンプル・チャーチ

テンプル・チャーチは、とても分かりにくい場所にあります。狭い路地を入らないと辿り着けません。昔は訪れる人も少なかったのですが、ダヴィンチ・コードがベスト・セラーになってからは、たくさんの観光客が訪れるようになりました。

ダヴィンチ・コードによると、「古くからロンドンにあるテンプル教会は、クリーム色のカーン石で全体が造られている。強い印象を与えるその円形の建物は、物々しいファサード、中央に聳え立つ小塔、片側に張り出した身廊を備え、礼拝の場というよりも軍事要塞の趣を備えている。1185年2月10日にエルサレム総主教ヘラクレイオスによって献堂されて依頼、ロンドン大火や第一次世界大戦といった動乱の中を8世紀あまりに渡って生き延びてきた。ただ一度第二次大戦中の1941年にドイツ軍の空爆でひどい損傷を受けたが、戦後の修復によってその荘厳な外観を取り戻した。」のだそうです。

テンプル騎士団の創立は1096年で、第一次十字軍の後にエルサレムへの巡礼に向かう人々を保護するために設立されました。テンプル騎士団の特徴は、構成員が修道士であると同時に戦士であったことです。テンプル騎士団には伝説が多く、その中のひとつに、最初に本部が置かれたエルサレム神殿跡地から聖杯を見つけたという話もあります。

ダヴィンチ・コードには教会内部のことも書かれています。「十体の石の騎士。左に五体。右に五体。等身大の彫像が仰向けの安らかな姿勢で床に横たわっている。騎士たちは鎧一式に盾と剣といういでたちで忠実に再現されており、まるで眠っている隙に何者かが忍び込んで石膏で固めたかのような不気味な印象を与える。彫像はどれも風化が激しかったが、一体一体にはっきりした特徴があり、武具の細部や、腕と脚の位置、顔の表情、盾の模様などが異なっている。」「どの騎士も仰向けだが、三人は足をまっすぐ伸ばし、あとのふたりは交差させている。」「ふたりは鎧の上に外衣をはおっているが、他の三人は足首に達する長衣を身につけている。」「ふたりは剣を持ち、ふたりは祈り、ひとりは両腕を体の横につけている。」「十番目の場所には、騎士像はなく、封印された石の棺が置かれている。棺は台形で頭のそばへ向かうに連れて広がっており、山形の蓋が着いている。」

そして、もっと重要なことが・・・。「ここは墓ではありません。墓とは遺体を安置する場です。これはただの彫像です。実在した人物を讃える石です。この下に遺体はありません。」