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2016年11月30日水曜日

大英博物館で旧約聖書を勉強する

 大英博物館の展示を見て旧約聖書を勉強します。

ロゼッタ・ストーンのレプリカ。

 ネブカドネザルの宮殿の煉瓦 (煉瓦に名前が書いてあります)。
 
アッシリア王テイグラス ピレセル3世(BC744-BC27)が馬車に乗り、上に壁に囲まれたアスタートの町からアッシリアの兵がヨルダン人達を連れ出す場面(アッシリアの捕囚)

シャルマネセル3世のバラワットゲート(高さ6.8メートル、幅2.7メートル)

門に処刑者の首を飾る残酷な王で、浮彫には柱に敵を結わえ足を切ったり腕を切ったりする姿が描かれています。

ヨセフの夢解きの絵。一本の茎に出た実った7つの穂と焼けた7つの穂。

 ヨセフが夢を解き大臣就任した時の王、セソストリス3世(BC1878~BC1841年)

 ニネベの宮殿の装飾。センナケリブ王の前に引き出される捕囚達と斬首された首を掲げる兵士。

 
 ニムルドのアシュール ナシパル2世(BC883-BC859)宮殿の浮き彫り。

アッシュルバニパル王(BC668-BC627)のアッシリア最後のライオン狩り。弓に細かい彫があります。

アッシリア王センナケリブが椅子に座って報告を聞いています。
 
BC701年、ジューデイアの市を攻撃し破壊、ラキシにも圧勝しました。

 ニネヴェに帰国後。ラキシの戦いの様子は彼の宮殿の浮き彫り彫刻になりました。
 
BC612年、センナチェリブの宮殿は破壊されました。

 捕虜となる人々が描かれています。

 テイグラス・ピレセル3世(BC744-BC27)

アダムとイヴのシール(BC2200~BC2000)木を挟んで帽子を被ったイヴとアダムがエデンの園で遊ぶ姿が描かれています。木はナツメヤシで、イヴの背後に蛇がいます。蛇はお産の神様でした。

 ノアの箱舟の元になる洪水伝説が書かれた粘土板(古バビロニア)

 キュロスのシリンダー キュロス王はバビロニアからユダヤ人を開放しました。

メネは、秤のこと。
ベルシャザルが宴会を開きワインを飲んでいた最中、突然人間の手の指が現れて壁に字を書いた。「メネ・メネ・テケル・ウ・パルシン」。メネは数える。テケルは測る。パルシンは分けるの意味。

 粘土版

 創世記が書かれている粘土板

新バビロニアのライオンのタイル壁

イラクのメソポタミア遺跡や博物館がISによって破壊されたりしたので、大英博物館の展示品がより貴重になっています。

2016年11月29日火曜日

大英博物館 メソポタミア文明 シュメール都市国家時代

紀元前3100年ごろ、メソポタミア南部の河口地域に進出したシュメール人たちは、粘土を日干し煉瓦にして宮殿や神殿を建設。運河や灌漑設備を整備して、人類初の都市国家を築きました。人類最初の文字「楔形文字」も生み出されました。

ウ ルの王墓から出土したウルのスタンダード。(紀元前2600年頃)戦争時に棒の上にのせて軍旗のように使用したか、または楽器の共鳴箱など、諸説ありま す。下地に天然アスファルトを塗り、貝殻や赤色石灰石で図柄を表現。背景をラピスラズリで埋めています。片側は平和の場面でヤギ、牛、魚が集められ、楽師 が演奏する中、王や高官が杯を持つ盛大な祝宴の様子が描かれています。反対側は戦争の場面で、ロバに引かれた戦車が敵を打ち負かし、捕虜が王の前に連行さ れています。

ウルの王墓からは殉死した70人の侍女たちのの装身具が出土しました。王や王妃が死ぬと、侍女たちは金やラピスラズリの装飾が施された頭飾りや首飾りを身につけ殉死しました。
金や宝石に細工が施されているシュメールの装飾品。紀元前2600年ごろ。


ウルの王墓から出土した牡山羊の像。。紀元前2600年ごろ。顔は金、ツノと羊毛は貝殻とラピスラズリ。ヤギが前足をかけている木はナツメヤシ。

銀 製の竪琴は、木の上に銀箔を貼り付けて作られていましたが、現在、木の部分は失われています。銀の牡牛の頭の下に動物を描いた貝殻の飾り板が貼られていま す。調律用のレバーは銀製で、サウンドボックスはラピスラズリと貝殻モザイクに囲まれています。紀元前2600年ごろ。

ウルの王墓から出土したゲーム盤。左上は遊び方の説明書。

「ギ ルガメッシュ叙事詩」の粘土板(紀元前7世紀)の中の洪水伝説が、旧約聖書のノアの方舟の基になったと言われています。ギルガメッシュはウルクの王で、暴 君であったため神はその競争相手として粘土からエンギドを作りました。ギルガメシュがエンギドにシャムハトを遣わせると、2人は6夜7日を一緒に過ごし、 力が弱くなった代わりに思慮を身につけます。ギルガメッシュとエンギドは力比べをするが決着がつかず、やがて2人は友人となり、さまざまな冒険を繰り広げ ることとなります。

フンババはキルガメシュに殺されたレバノン杉の林を守る神話上の怪獣です。多くの冒険の最後に神が起こした大洪水から箱舟を作って逃げることで永遠の命を手に入れたウトナピシュティムに会います。

ウルクの神殿跡から司祭か統治者の祈る姿を現した像。紀元前2500年ごろ。

ラガシュの君主グデアの像。髪を剃り、祈りのために手を握りしめています。紀元前2141~2122年。
ウル第3王朝の王ウル・ナンムの姿をかたどった楔釘形の神殿定礎像。日干し煉瓦の入ったバスケットを頭上に載せて運ぶ伝統的な職人風スタイルで現されています。紀元前2112~2095年。

2016年11月28日月曜日

大英博物館 ウルの王墓からの発掘品

ウルのスタンダード (紀元前2600年ごろ)
貝殻やラピスラズリをちりばめた象嵌細工の木の箱。

ウルの牡山羊 (紀元前2600年ごろ)
金箔とラピスラズリが贅沢に用いられています。

ウルのゲーム盤 (紀元前2600年ごろ)
世界最古のゲーム盤。ルールブック(楔文字で書かれた粘土板)から遊び方が分かっています。

2016年11月27日日曜日

大英博物館 メソポタミア文明 古バビロニア時代


古バビロニアで一番有名な王様は6代目のハンムラビ(紀元前1792~1750)。「目には目を」と復讐して解決させる「ハムラビ法典」は有名です。

イシュタル女神。ハムラビ王時代の古バビロニアで作成されました。

女神ヘンドゥル・サッグの像。目は貝殻、ラピスラズリで象嵌されています。

2016年11月26日土曜日

大英博物館 メソポタミア文明 カッシート、ミタンニ、ヒッタイト




カッシート・ミタンニ・ヒッタイト


イドリミ、アララクの王。古代レヴァント。紀元前1500年ごろ。

封筒に入れられた粘土板。訴訟の記録。紀元前15世紀。

ア マルナ文書。1887年にエジプトのエル・アマルナで楔形文字の記された粘土板文書が数多く発見されました。エジプトと西アジアの強国ヒッタイト、ミタン ニ、バビロニアの王の間で交わされた外交書簡で、多くは当時の外交用語とされたバビロニア語で記されています。金やラピスラズリ、戦車などを手に入れるた めに、エジプトやバビロニアの王女たちが交換されていました。使者や王女の扱いに対する不満が述べられ、バビロニアのカッシート王は送られてきた金の質が 劣っていると指摘しています。ミタンニのタシャラッタ王からエジプトのアメンホテプ3世に送った手紙。紀元前1350年。

2016年11月25日金曜日

大英博物館 メソポタミア文明 フェニキア

フェ ニキアはメソポタミアとエジプトに挟まれた戦略上、地勢状の要塞にあたるため、エジプト、アッシリア、バビロニア、アケメネス朝ペルシア、ギリシア、ロー マに相次いで支配されます。ところがフェニキアの諸都市は、他国の支配下に入っても消滅することはありませんでした。支配者の力が強大だと分かると、フェ ニキア人が異民族に抵抗せず従属し、ペルシアには艦隊を、マケドニアにはレバノン杉を貢いでその機嫌をとりました。そのため、フェニキアの諸都市は自治権 や地中海での交易権を認められて生き延びました。

天然の良港であるビブロスはレバノン杉の積み出し港として紀元前2600年ごろから発展 しました。芳香を放って朽ちにくいレバノン杉は各地で珍重され、木材に乏しいエジプトでは建材は神殿や船に、樹液はミイラつくりに用いられました。ファラ オたちは高価な杉を大量に輸入した上、ビブロスの王に財宝を送り、貿易が絶えぬよう機嫌をとっていたと言われます。ギリシア時代には紙の原料となるパピル スをエジプトから仕入れ、ギリシアをはじめ地中海沿岸諸国に提供していたので、ギリシア人はパピルスをビブロスと呼び、聖書(バイブル)の語源となりまし た。ローマ時代には巻貝から採れる紫色の染料が珍重されましたローマ時代には珪素が多い海砂を原料とするガラス製品を生産し輸出して利益を得ました。その 他に、アラビアの香料、エジプトの金、アフリカの象牙、イベリアの銀、ギリシアのワインなどを扱って繁栄を築きました。

ライオンに襲われた黒人。金箔と、ラピスラズリなどで象嵌された象牙細工は、フェニキアで作られた家具装飾の一部だと考えられています。手先の器用な彼らは、金属加工・象牙細工などの技術にも長けていました。紀元前9~8世紀。

窓辺の女。三重枠の窓から外を眺めるエジプト風のかつらをつけた女性は、神殿に仕える女性の姿と言われています。紀元前9~8世紀。

2016年11月24日木曜日

大英博物館 メソポタミア文明 アッシリア


紀 元前9世紀にはアッシリア帝国が出現。中継貿易で築いた財をもとに巨大な軍事国家を樹立しました。紀元前8世紀の王、ティグリトピレセル3世は衰退した末 期王朝時代の古代エジプトをも制しました。侵略戦争で領土を広げたアッシリアでは、王の偉大さを誇示し脅威を与えるような作品が好まれました。神殿に刻ま れた戦いや仮の浮き彫りは紀元前9世紀のアシュールナシルパル2世の時代に始まり、王宮の入口を守ったラマッスなど、シュメールの粘土とは異なる石の文化 が築かれました。

ティグラト・ピレセル1世(紀元前1114~1076年)

北方のアルメニア地方まで遠征し、シリアの諸都市を陥れてアラム人を打ち破り、ヒッタイトの諸都市を次々と領土に加えていきました。しかし、彼の後継者の時代(100年間)にアラム人の東進が深刻な問題となり、攻勢を防ぎきれずに国土は縮小していきました。

ティグラトピレセル1世の8角柱碑文。アッシリアの王様は角柱碑文を公的建物の基礎に埋めました。この角柱は軍事遠征の報告を集成したものです。紀元前1114~1070年。


アシュールナシパル2世(紀元前883~859)

精力的で残忍な征服王は、反抗する敵に対しては徹底的な破壊で報いました。ヒッタイトやフェニキアの諸都市を征服して貢物を取り立て、その結果、アッシリア王室は莫大な財力を誇るようになり、首都をニネヴェからニムルドに移転して王宮を建造しました。

アシュールナシパルのラマッス

ティグリス河畔のニムルドに大宮殿が建設され、華麗な浮き彫りで飾られました。

ニムルドの王宮を守っていた人面獣身有翼像ラマッス。(紀元前9世紀)


シャルマネセル3世(紀元前858~824年)

父 の領土をさらに拡大することに専念しました。フェニキア都市と、イスラエル諸王のイエフはアッシリアに貢ぎものを贈りました。晩年長男が叛乱を起こし、帝 国全土に広がって王に対する大反乱となり、王はこれを鎮圧することができずに、ニムルドの王宮で寂しく亡くなります。次男が反乱を鎮圧させて即位します。

黒いオベリスクはシャルマネゼル3世に貢物を献上する場面が描かれています。(紀元前825年頃)
バラワート門(紀元前858~824年)
シャルマネセル3世は、イムグル・エンリルの宮殿に、壮大なレバノン杉の門扉を作りました。(実物大のレプリカが復元されています)。

扉には青銅の帯がついており、紀元前859年のフェニキュアへの遠征などが描かれていま
す。


ティグラト・ピラセル3世(紀元前745~727年)  

王 位簒奪者だったと考えられています。被征服民のアッシリア領内への強制移住をさせるようにして、アッシリア領内の荒地の開拓をさせ王室財政の安定に貢献さ せました。メソポタミア全土を手にしました。領土はペルシア湾からアルメニア、パレスティナからエジプト国境における広大なものとなります。


地中海まで進出したティグラト・ピレセル3世は、旧約聖書では「プル王」として出てきます。


シャルマネセル5世(紀元前726~722年)

父王が亡くなるとイスラエル王が態度を変えて反抗したため、イスラエルに攻め込み保守あおうを捕らえ、首都サマリアを包囲しますが、遠征途中のサマリアで戦死します。


サルゴン2世 (紀元前721~705年)

即 位後。ニネヴェから新都ドゥル・シャルキンに遷都。シリア・イスラエルの叛乱に対して鎮圧。イスラエル滅亡させます。広大な領土を維持するため、積極的に パレスティナ、アナトリア、フリュギアへの征服戦争を繰り返した。バビロンを陥落させる。イラン方面を進撃中に戦死した

ドゥル・シャルルキンのサルゴン2世の王宮の入口を守っていたラマッス。人頭牡牛は悪霊を払うと信じられていました。

悪霊を退けるとしてアッシリアの王宮入口に供えられ、隣には翼を持つ精霊が儀式用のモミの球果と手桶を持って立っています。紀元前721年、このラマッスを作らせたサルゴン2世は、北イスラエル王国を滅ぼしました。


センナケリブ (紀元前704~681年)

父 が建設していた新都ドゥル・シャルキンを捨て、ニネヴェを首都としました。バビロニアに従属していたユダヤ人に反乱が起こると、ヒゼキア王はエジプトとの 相互援助条約を持ってアッシリアに対抗しようとしました。ユダヤ人を危険視したセンナケリブは紀元前701年、エルサレムを包囲しましたが、エルサレムを 陥落させることなく撤退しています。紀元前689年にバビロニア遠征を行い、バビロンを陥落させました。この時センナケリブはバビロンの主神マルドゥーク 神像を持ち去り、バビロン氏の大部分を破壊した上に運河の流れを変えて洪水を起こしました。長男であったアッシュール・ナディン・シュミが装束不明になっ ていたため、センナケリブは末子のエサルハドンを後継者に指名しますが、他の息子たちは激しく反発し、紀元前681年に息子たちによって暗殺されました。

セ ンナケリブの遠征が記された六角柱碑文。王は領土の維持のために各地に遠征し、反乱を鎮圧しました。エルサレムのヒゼキヤ王に対する包囲攻撃とセンナケリ ブに支払った莫大な貢物の説明が詳細に書かれています。この事件は旧約聖書にも書かれています。紀元前704~681年。

センナケリブのパレスティナ遠征したことは浮彫にも描かれています。紀元前701年に、センナケリブはエルサレムを包囲しましたが、陥落させることなく撤退しています。

センナケリブが捕虜になった人たちを見ているところ。

船で川を渡る。

ニネヴェのセンナケリブの西南神殿の浮き彫りには、巨大な石塊を切り出し、大まかな形を彫刻したラマッスをを運ぶ場面が描かれています。(紀元前700年ごろ)。


エルサルハドン(紀元前680~669年)

父 王が兄弟に殺害されたので、あわてて首都を脱出し、小アジアに潜伏し、1年半かけて兄たちの反乱を鎮圧しました。シリアとイスラエルが繰り返し叛乱を起こ すのはエジプトが支援するからだと考え、紀元前671年にエジプトに侵攻します。しかしエジプトを支配するのは難しく、征伐に向かう途上で亡くなりまし た。長男をバビロニア王とし、嫡子ではないアッシュールバニパルを後継者と定めました。


アシュール・バニパル(紀元前668~627年)

父王が行っていたエジプト遠征を継続し、紀元前667年メンフィスを陥落させ、紀元前663年にはテーベを陥落させました。そして、紀元前662年エラムを属国としました。
兄シャマシュムウキンは紀元前652年に反旗を翻しバビロンに篭城。2年間持ちこたえましたが紀元前648年に陥落し炎上する宮殿の中で亡くなりました。
アシュールバニパルは歴代王の中で最も教養豊かな王といわれ、シュメール語、アッカド語の読み書きができました。王は文書収集に熱中し、アッシリア全土の初期を派遣し神話、医学、宗教、言語など学術書、商業証書や一般人の手紙などを集めさせました。
ニネヴェに大宮殿を建てました。

ニネヴェ宮殿のライオン狩りの浮彫。ライオン狩りはアッシリアの王たちにとって伝統的な習慣でした。紀元前668~627年ごろ。

アシュールバニパル図書館。