ハワースの街のバス駐車場に到着すると、ブロンテ姉妹が眠る教会が見えます。
「ジェーンエア」「嵐が丘」で有名なブロンテ姉妹はヨークシャーの丘陵地帯のハワースの牧師館で育ちました。
幼い時に母親が病気で亡くなり、もともと社交的でない父親は一日の大半を書斎で過ごし、家政と育児を引き受けた伯母も石畳の冷たい居間を嫌って2階の自室に上がったきりほとんど降りてきません。
子供たちは近所の子供と遊ぶことさえ頑固な父に禁止され、自分たちだけの小さな閉鎖社会を作りました。夏は村はずれの広い荒野で遊べるけど、冬は冷たい薄暗い家の中にいるしかありません。他に面白い遊びもないので、幼い子供たちは空想の物語を聞いたり、聞かせたりするようになりました。父の宗教談や政治論、伯母の思い出話、父の書斎にあるスコット、ワーズワース、バイロン、シェークスピアなども読む端から物語に取り入れていきました。
父と3人の娘たちはひとり息子ブランウェルが画家になろうとする希望に協力しましたが、彼は世に認められぬうちに酒に身を持ち崩して、31歳の若さで死んでしまいます。
彼が死ぬ直前まで足繁く通ったパブ、ブラック・ブルには彼が描いた3人姉妹の絵がありました。
シャーロットが書いた「ジェーン・エア」が1847年10月に刊行されベストセラーになり、そのおかげで2ヵ月後にエミリーの「嵐が丘」とアンの「アグネス・グレイ」も出版することができました。しかし「嵐が丘」の評判はあまり良くなく、傑作と言われるようになるのは、エミリーの死後50年経ってからです。
小説出版の1年後に、エミリーは薬も受け付けず、医者も拒み、衰弱して30歳の若さで死んでいきました。次の年にはアンが29歳で療養先で亡くなります。残されたシャーロットも39歳で亡くなります。
ブロンテ姉妹は短命と言われていますが、実はハワースでは長生きした方なのです。
当時は食糧事情も悪く、衛生環境もかなり悪かったので、ハワース村の平均寿命は24.6歳でした。子供の半分は幼児(6歳未満)で死んでいったのでした。
ハワース村の周りのヒースの荒野に風力発電のための風車がありました。ヨークシャーでは結構風車を見かけました。
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