2017年10月8日日曜日

ジョン・レノンの人生

ジョン・レノンはリバプールで1940年10月9日に生まれました。父フレディは船員で、ジョンが2歳の時に航海に出たきり音信普通になってしまいました。母ジュリアは他の男性と同棲を始め、ジョンは3歳の時にジュニアの姉であるミミに引き取られます。

15歳の時、エルビス・プレスリーのハートブレイク・ホテルを聴いてロックに目覚めます。ミミ夫妻の家の近くに新しい夫と共に住んでいいた母ジュリアは、ジョンに中古のスパニッシュ・ギターを買い与えました。

16歳のとき、高校在学中に級友と共にクオリー・メン・バンドを結成。ポール・マッカートニーがメンバーに加わります。

17歳の時、ジョンはリバプール・カレッジ・オブ・アートという美術学校に進学します。ジョンは最初の妻となるシンシアと学生時代に出会っています。ポールはリバプール・インスティチュートに進学しました。

翌年、ポールに誘われたジョージ・ハリスンがメンバーに加入。1960年にバンド名をビートルズにしてハンブルグとリバプールを拠点に演奏活動を続けます。

1961年に、マネージャーとなるブライアン・エプスタインと出会い、ビートルズは世界的スターへの道を歩み始めることになります。

1962年にはリンゴ・スターが加入。8月にはジョンとシンシアは結婚します。10月にはデビュー・シングル「ラブ・ミー・ドゥー」を発売しましたが、売り上げはそれほどでもありませんでした。


1963年にセカンド・シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」が大ヒットして、1964年には念願のアメリカ進出を果たし、ワールド・ツアーが行われ、ビートルズ人気は世界的なものになりました。

しかし、1965年ごろから4人はコンサートに嫌気がさしはじめてきます。1966年8月のアメリカ公演を最後にビートルズはツアーをやらなくなりました。

11月ジョンはオノ・ヨーコと出会い、1967年8月にマネージャーのエプスタインが急死しました。ジョンはビートルズに対する情熱を次第に失っていました。
 

ジョンはスタジオにヨーコを伴い、ヨーコはビートルズのレコーディングに口を挟むようになります。1969年3月ジョンとヨーコは結婚、「ベッドイン」で反戦のメッセージを発信しました。

1970年3月にラスト・シングル「レット・イット・ビー」を発売、4月にはポールがビートルズ脱退を新聞紙上で発表、5月ラスト・アルバム「レット・イット・ビー」が発売され、ビートルズは事実上解散しました。

1975年10月に息子のショーンが誕生すると、音楽業界を引退して主夫業に専念することになりました。

1980年に音楽活動を再開し、11月にアルバム「ダブル・ファンタジー」を発表しましたが、翌月12月8日狂信的なファンに自宅前で撃たれ帰らぬ人となりました。

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