2008年3月6日木曜日

ラファエロの絵

今日の西洋美術史講座では、5月に行くフィレンツェのパラティーナ美術館について勉強しました。メディチ家が迎賓館として使用していただけあって、優雅な作品が多いのが特徴です。特に印象に残ったラファエロの作品をまとめてみました。

「大公の聖母」(1504)、トスカーナ大公がこの絵を気にとても入って、どこに行くにも持ち歩いていたと言われています。

「マッダレーナ・ストロッツィ・ドーニの肖像」(1506)、ポーズがモナリザにそっくり!

「聖母子と洗礼者ヨハネ」(1516)、キリストもヨハネもかわいい!

ヴェールの女(1516)、モデルはラファエロの愛人ではないかと言われていた人だそうです。

2008年3月5日水曜日

フロム・ロシア

ロイヤル・アカデミー・オブ・アートでやっている「From Russia」という展覧会を見に行ってきました。エルミタージュ美術館やトレチャコフ美術館など、ロシアの主要美術館から貸し出された作品を展示していました。「フランス印象派の絵がいかに現代のロシアの美術に影響を与えたか」がテーマだったようですが、見学者のほとんどがロシアに行かくては見られないフランス印象派の絵を見るのが目的だったようです。

マチスの「ダンス」は特に有名です。

「赤のハーモニー」もマチスの作品。

「彼女の名はヴァイルマティ」などゴーギャンの作品も印象に残りました。

これはゴッホの「レイ医師の肖像画」です。

帰りにロイヤル・アカデミー自慢のミケランジェロのトンドを見てきました。英国にある唯一のミケランジェロの彫刻です。

2008年3月3日月曜日

ナショナル・ギャラリーのイタリア絵画 (13~15世紀)

私は中世ヨーロッパの宗教画が苦手だったんですけど、今年の春フィレンツェに行く予定なので、イタリア絵画を中心に勉強しています。調べていくうちに少しずつ面白くなってきました。

ナショナル・ギャラリーで一番古いイタリア絵画は、1260年ごろマルガリート・ダァレッツォによる(聖母マリアの足元にラテン語でMargarito d' Arezzoがこの作品を作ったと書いてあります)「玉座の聖母子、降誕、聖人たちの生涯の場面」です。ビザンチン絵画の影響を大きく受けている作品です。

ルネッサンス以前のイタリア最大の画家のジオットの作品。この絵は1306~12年頃描かれた、横長の祭壇画で、キリストの生涯を描いた最後の「聖霊降臨」の場面です。

14世紀イタリアを代表する画家のひとりであるドウッチオの工房で作成され、1311年にシエナ大聖堂の主祭壇へ納められた祭壇画の一部分です。主場面の下に聖母マリアの生涯が描かれており、「受胎告知」は一番最初の場面です。

1370年ごろフィレンツェのサン・ピエル・マッジョーレ教会の主聖壇のために注文された祭壇画で、3人の親方とその助手たちによって作成されました。主題の「聖母の戴冠」は聖母が昇天後天国でキリストから戴冠される場面を描いたもので、たくさんの聖人を描く口実にもなり、当時フィレンツェでとても人気がありました。

モナコ(修道僧の意味)は、若いときにフィレンツェのカマルドリ会のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ修道院で修道士になりました。この絵は1414年ごろ描かれた「聖母の戴冠と礼拝する聖人たち」というカマルドリ会修道院のための祭壇画です。聖母が昇天後に天国でキリストから戴冠される場面に、有名聖人たちと一緒にカマルドリ会の聖ロムアルドゥスや聖ベネディクトゥスが描かれています。

ファブリアーノはヴェネツィア共和国、フィレンツェの有力者、シエナの公証人たち、ローマ教皇など、名だたるパトロンたちに雇われ各地を渡り歩きました。この「クアラテージの聖母」は1425年ごろフィレンツェのサン・ニッコロ・オルトラーノ教会の主祭壇のために描かれました。この聖母子の左側にはマグダラのマリアとバーリのニコラウス、右側には洗礼者ヨハネとゲオルギウスの4聖人が別々のパネルに描かれ並んでいました(現在はウフィツィ美術館に所蔵されています)。

これはピサのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会の中にある公証人の礼拝堂のために1426年に注文された祭壇画の一部です。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなど多くの画家が彼の作品から学んでいます。

1450年ごろのピサネロの「聖エウスタキウスの見た幻影」という作品です。聖エウスタキウスは狩猟中に牡鹿の角の間に磔のキリストの幻影を見て、キリスト教に改宗したという伝説に基づき描かれました。見本帳を元にしたように、動物は横向きで規定されたポーズをしています。

フラ・フィリッポ・リッピはメディチ家お抱えの画家でした。「受胎告知」はフィレンツェのメディチ宮殿にあったベッドかドアの上に据えるパネルとして、1448~50年ごろ描かれたと考えられています。天使ガブリエルが持っているユリの花は聖母の純潔をあらわし、中央上から神の手が聖霊の鳩を送り出しています。

1450年ごろメディチ宮殿を飾るためにウッチェロによって描かれた絵です。合戦や馬上槍試合や狩の場面は王侯貴族の宮廷で好まれた主題でした。この絵のテーマは1432年のサン・ロマーノの戦いで、フィレンツェ軍がシエナに勝利したときのことが描かれています。赤い帽子を被っているのはニッコロ・ダ・トレンティーノで、コジモ・デ・メディチの友人でした。馬具や甲冑には本物の金銀を使用。ウッチェロの架空の騎士道物語の世界と結び付けています。遠近法の効果を出すために、折れた槍や死んだ兵士が消失点に向かって規則的に並べられています。

1450年代にピエロ・デラ・フランチェスカによって、カマルドリ会修道院内の洗礼者ヨハネの礼拝堂の祭壇のために描かれた「キリストの洗礼」です。彼はフェラーラやウルビーノやリミニの宮廷に雇われたり、ローマ教皇に仕事を依頼されたりしました。幾何学と遠近法の熱心な研究者でもありました。ヨルダン川で聖ヨハネから洗礼を受けているキリストが中心に描かれています。

コジモ・トゥーラはフェラーラのエステ家の宮廷画家でした。この絵は1455~63年に描かれた「寓意的人物像」で、さくらんぼの枝を手にしたエウテルペ(音楽のミューズ)が、イルカの金属細工がついた大理石の椅子に座っています。最初の絵は卵テンペラで、女性像は油彩で、明るい色彩は胡桃油で、暗色には亜麻仁油でと使い分けて描いています。

1465年ごろにアレッソ・バルドヴィネッティによって描かれた肖像画ですが、誰なのか分かっていません。北ヨーロッパでは斜め横向きの肖像画が好まれましたが、イタリアでは古代ギリシアやローマのコインの伝統と結び付けたりして、1500年ごろまで横向きの肖像画が人気がありました。

ポライウォーロ(鶏肉屋)兄弟は、2人で作成を作成しました。この作品は1475年にフィレンツェにあるサン・セバスティアーノ礼拝堂のために描かれました。この頃から祭壇画は多翼祭壇画から単独のパネルになっていきます。セバスティアヌスは木の切り株の上に立たされていますが、これはキリストの磔を暗示しています。セバスティアヌスは矢では死なず、信心深い女性たちの看護で健康を取り戻しましたが、結局棍棒で撃ち殺されます。セバスティアヌスをペストの守護聖人として人気がありました。

1475~76年ごろ作成されたアントネロ・ダ・メッシーナによる「書斎の聖ヒエロニムス」。聖ヒエロニムスは学僧であり、聖書の標準ラテン語版を翻訳・編集しました。彼は教皇の顧問を務めていたので、枢機卿の緋色の衣をまとった姿で描かれることがあります。彼はライオンの前足から刺を抜いてやったので、ライオンも描かれています。この絵の前方のヤマウズラは真実を、孔雀は不死を表します。



ボッティチェリは祈祷用の聖母子像を専門とした大きな工房を営んでいましたが、数少ない世俗的な神話画の方が有名です。これはイタリア以外で見られるボッティチェリの唯一の神話画です。1484年頃、フィレンツェのヴェスプッチ家の婚礼のために、ベッドの背板か長持のために描いたものだと言われています。ヴィーナスは恋人のマルスが眠っているのを見ています。悪戯なサテュロスの子供が耳元でホラ貝を吹こうが、スズメバチが近くでうなろうがマルスは目覚めません。情交により、男性は消耗し、女性は生き生きするという結婚のジョークから。

ロレンツォ・コスタはフェラーラに生まれで、45歳ごろマントヴァの宮廷画家になりました。この絵は1490年ごろボローニャ時代に作成された、室内を装飾する連作の一枚だったと思われます。真ん中でリュートを弾きながら歌っている男性がリードして、他の二人も拍子をとりながら重唱に加わっています。フェラーラの宮廷では音楽が特に愛好され、世俗音楽がイタリアの他の土地よりも発展しました。

この「ツバメの聖母」は1490~92年にかけて、マルケ地方のフランシスコ会の教会の祭壇画としてクリヴェリによって作成されました。画枠ごとそっくり残っている祭壇画は貴重です。ツバメは冬の間泥の中で冬眠すると考えられてため、キリストの復活の象徴でした。聖母はリンゴを持つキリストを膝にのせており、両脇には教会の建築模型を持った聖ヒエロニムスと銀色の矢を持った聖セバスセィアヌスが立っています。プレデラには左から車輪を持った聖カタリナ、ヒエロニムスの荒野での修行、キリスト降誕の場面、処刑されるセバスティアヌス、修道院院長の守護聖人である聖ゲオルギウスが描かれています。

この「ニンフの死を悼むサテュロス」は1495年ごろピエロ・ディ・コジモによって描かれ、フィレンツェの邸宅の長椅子の背板または長持ちを飾っていました。主題はオウィディウスの神話のケファロスとプロクリスの物語で、お互いに相手の貞節を疑い、最後にはケファロスが藪の中の物音を聞き獣だと思って槍を投げ妻のプロクリスを殺してしまうという物語。夫婦間の嫉妬を戒める教訓として、結婚祝いに贈られる室内装飾に好まれました。

このペルジーノ描いた「聖母子と天使、大天使ミカエル、大天使ラファエルとトピアス」は、1490年代後半にパヴィアのカルトゥジオ会修道院の祭壇画のために注文されました。この人はラファエロの師匠として有名で、ラファエロの初期の作品は見分けがつかないほど似ています。

ナショナル・ギャラリーのイタリア絵画 (16世紀)

16世紀になるとルネッサンスの3大巨匠(ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ)が活躍しはじめます。ベネチアでも美しい色彩の絵画を描く芸術家が輩出されるようになります。

この肖像画は1501~04年、ドージェに選出されたレオナルド・ロレダンのために、ジョヴァンニ・ベリーニによって描かれました。 べネチア総督の式服である、ダマスク織りの式服と、角型の帽子を見につけています。モデルは光源の方を向いています。古代ローマの胸像彫刻や北ヨーロッパの肖像画の影響を受けています。絵は油彩で描かれていますが、卵テンペラも使われています。ベリーニの父も兄も有名な画家で、ベネチアの画壇をリードし、多くの公的な絵画、肖像画、礼拝用聖母像を描きました。

ミケランジェロの板絵は少なく、完成品はドーニ家のトンドだけです。この絵は1500~01年にかけてローマのサン・タゴスティーの教会内の礼拝堂のために描いた「キリストの埋葬」ですが、1501年春フィレンツェに赴くために放棄されてしまい、未完成です。赤い服の人物は福音者聖ヨハネで、その足元にはマグダラのマリアがいます。右下に聖母マリアが描かれる予定だったのですが、聖母の青い衣に用いられるラピスラズリを待っているうちに時間がなくなってしまったみたいです。

1502~04年にかけて、聖トマス悔悛者信心会によってヴェネチアの東にあるポルトグルアロのサン・フランチェスコ教会のために注文され、コネリアーノ出身のチーマによって描かれた大祭壇画です。キリストが復活の日に弟子の元に出現したときにトマスはその場にいなかったので、自分が見たり触れたりしない奇跡を信じませんでした。8日後、イエスは再び出現し、トマスにわき腹の傷に触れさせようとします。そして、「見ないのに信じる者は幸いである。」といいます。キリストを中心に持ってきて、他の人より背を高くし、注目するように仕向けています。


1505年にラファエロによって描かれた「聖母子と洗礼者ヨハネとバーリの聖ニコラウス」は、ペルージアの教会内にある礼拝堂のために注文されました。この礼拝堂は聖ニコラウスに捧げられたもので、司教姿の聖人は、3人の貧しい娘たちに持参金として与えた金の袋を表す金の玉を目印にしています。洗礼者ヨハネは推奨の十字架を持っています。聖母の頭上のラテン語の銘文には「キリストの御母に幸いあれ」と書かれています。天蓋から下がっている緋色の珊瑚の数珠飾りは、悪を遠ざけるお守りとして知られています。聖母と聖ヨハネと聖ニコラウスの頭は同じ方向に傾いています。

1505~06年にマントヴァの宮廷画家であり考古学者であったマンテーニャによって描かれた「ローマへのキュベレ崇拝の導入」です。祖先が大昔に太母神キュベレをトルコからローマへ迎えた責任者であったと主張するヴェネチア貴族コルナロ家の注文で、古典建築の浮彫彫刻のように見せた一連のシリーズの1枚でした。キュベレの胸像が輿にのせられて、司祭たちによって運ばれる様子が描かれています。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」は、1508年ごろミラノのサン・フランチェスコ・デル・グランデ教会の祭壇画として描かれました。これより早く描かれたものがルーヴル美術館にあります。人里離れた水辺で洗礼者ヨハネはキリストを礼拝しています。

この絵は1506~10年にジョルジョーネによって描かれました。彼は謎めいた主題の詩的雰囲気に満ちた個人収集家向きの小型絵画が得意でした。この絵はヴェネチアの南にある16世紀の邸宅で再発見されたものです。タイトルの「Il Tramonto」は山(モント)の向こう(トラ)に夕日が沈むという意味で「日暮れ」と名づけられています。

1517~19年にヴェネチアの画家ピオンボによって、南西フランスのナルボンヌ大聖堂のために描かれた祭壇画「ラザロの復活」です。彼はミケランジェロの友人で、構図素描を提供してもらっています。死んだラザロを生き返らせるというキリストの奇跡がテーマです。キリストが指差しているのが生き返ったラザロ、足元の女性はマグダラのマリアです。

1518年頃、フィレンツェに近いポントルモ村出身のヤコポによって描かれた「エジプトのヨセフとヤコブ」。この絵は家具を装飾するためにボルゲリーニから息子のピエルフランチェスコとマルゲリータの結婚の祝いに注文されました。他国での商売の成功、彼の寛大さ、家族に対する思いやりを意味するヨセフの物語を選ぶのは当時の流行でした。また、夢を解読したヨセフの物語は寝室に飾るのに適しています。

「バッカスとアリアドネ」は1522~23年にティツィアーノによって、フェラーラ城を飾る連作の1点として描かれました。ティツィアーノは最も成功したベネチアの画家で、パトルンの中にはローマ教皇、フランス国王、スペイン国王、イタリアの主要な貴族や、ベネチア共和国政府などがいました。ナクソス島にテセウスに置き去りにされたアリアドネは去っていく船を見ています。その時バッカスは凱旋車から飛び降り彼女を花嫁に迎えます。ギリシア神話では有名な話ですが、絵画化されることは稀でした。

1524年頃にコレッジオによって描かれた「バスケットの聖母」です。聖家族を愛情に満ちた絵にしています。木下に座り、裁縫道具の入ったバスケットを傍らにおいて、縫い上げたばかりの上着を幼子キリストに着せてみている聖母。手足をばたつかせるキリスト。後ではヨセフが大工仕事をしています。マリアは青いドレスではなく、くすんだばら色のドレスをまとっています。

1526~27年にパルミジャニーノによって描かれた「聖母子と洗礼者ヨハネと聖ヒエロニスム」。北イタリアのパルマ出身なのでパルミジャニーノ(フランス語ではパルメザン)と呼ばれた画家が、ローマで製作した祭壇画です。右側から強い光を受けています。洗礼者ヨハネの表情もキリストの表情も独特です。

1530年頃、ベネチア生まれのロットによて描かれた「ルクレツィアの素描を持つ婦人」。彼はルネッサンス期でも際立って人物の描写に迫力がある肖像画の数々を残しています。この女性の名前はルクレツィアで、古代ローマの伝説に出てきた貞淑な人妻であるルクレツィアの素描を持っています。ロットの肖像画の多くは銘文や身の回りのものからモデルが誰か分かります。この肖像画は結婚を記念して注文されたものと思われます。

1540年頃、バッサーノのヤコポによって描かれた「カルヴァリオへの道」です。ヴェネチア風の衣装をまとった聖ヴェロニカがキリストの顔の汗と血を拭こうと身を乗り出しています。死刑執行人がキリストの胴にまかれたロープを引いて、ゴルゴダの丘へと急がせています。「悲しみのキリスト」はヴェロニカを見ていますが、私たちに訴えかけている語りかけているように見えます。

1540年頃ブロンズィーノによって描かれた「ヴィーナスとキューピッドのいるアレゴリー」

1560年頃ティントレットによって描かれた「聖ジョージと竜」です。染物屋(ティントーレ)の息子だったため、ティントレットという通称で呼ばれ、ヴェネチアの教会や信心買いのための祭壇画や宗教説話画の画家として絶大な人気を博していました。この絵は私的な祭壇用に注文されたものだと思われます。「黄金伝説」の竜が人身御供を求める話で、王女が犠牲者として選ばれたとき、馬に乗って通りかかった聖ジョージは彼女の救出に向かい竜を退治したことが描かれています。

1565~70年にヴェロネーゼによって、ピサーニ宮殿のために描かれた「アレクサンドロス大王の前のダレイオスの家族」です。アレクサンダー大王は、ペルシアを破った後、敵の母、妻、子供たちの命を助けました。敵の皇太后は背の高いヘフェスティオンをアレクサンダーと間違えて、その前にひざまずいてしまいました。アレクサンダーは「間違いではない。かれもまたアレクサンダーのような英雄なのだから」と言って礼儀正しく皇太后の気まずさを救いました。注文者の家族の肖像が混じっており、16世紀と古代の衣装が交じり合っています。

ナショナル・ギャラリーのイタリアの絵画 (17世紀)

1601年カラヴァッジオ「エマオの晩餐」

1601~02年、カラッチ「主よ、何処へ行かれるのですか」


1615~16年、レーニ「ソドムを去るロトとその娘たち」


1640~50年、サッソフェラートの「祈る聖母」

1645年、ローザ「自画像」

1680年、ジョルダーノ「フィネウスとその一味を石に変えるペルセウス」