16世紀になるとルネッサンスの3大巨匠(ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ)が活躍しはじめます。ベネチアでも美しい色彩の絵画を描く芸術家が輩出されるようになります。
この肖像画は1501~04年、ドージェに選出されたレオナルド・ロレダンのために、ジョヴァンニ・ベリーニによって描かれました。 べネチア総督の式服である、ダマスク織りの式服と、角型の帽子を見につけています。モデルは光源の方を向いています。古代ローマの胸像彫刻や北ヨーロッパの肖像画の影響を受けています。絵は油彩で描かれていますが、卵テンペラも使われています。ベリーニの父も兄も有名な画家で、ベネチアの画壇をリードし、多くの公的な絵画、肖像画、礼拝用聖母像を描きました。
ミケランジェロの板絵は少なく、完成品はドーニ家のトンドだけです。この絵は1500~01年にかけてローマのサン・タゴスティーの教会内の礼拝堂のために描いた「キリストの埋葬」ですが、1501年春フィレンツェに赴くために放棄されてしまい、未完成です。赤い服の人物は福音者聖ヨハネで、その足元にはマグダラのマリアがいます。右下に聖母マリアが描かれる予定だったのですが、聖母の青い衣に用いられるラピスラズリを待っているうちに時間がなくなってしまったみたいです。
1502~04年にかけて、聖トマス悔悛者信心会によってヴェネチアの東にあるポルトグルアロのサン・フランチェスコ教会のために注文され、コネリアーノ出身のチーマによって描かれた大祭壇画です。キリストが復活の日に弟子の元に出現したときにトマスはその場にいなかったので、自分が見たり触れたりしない奇跡を信じませんでした。8日後、イエスは再び出現し、トマスにわき腹の傷に触れさせようとします。そして、「見ないのに信じる者は幸いである。」といいます。キリストを中心に持ってきて、他の人より背を高くし、注目するように仕向けています。
1505年にラファエロによって描かれた「聖母子と洗礼者ヨハネとバーリの聖ニコラウス」は、ペルージアの教会内にある礼拝堂のために注文されました。この礼拝堂は聖ニコラウスに捧げられたもので、司教姿の聖人は、3人の貧しい娘たちに持参金として与えた金の袋を表す金の玉を目印にしています。洗礼者ヨハネは推奨の十字架を持っています。聖母の頭上のラテン語の銘文には「キリストの御母に幸いあれ」と書かれています。天蓋から下がっている緋色の珊瑚の数珠飾りは、悪を遠ざけるお守りとして知られています。聖母と聖ヨハネと聖ニコラウスの頭は同じ方向に傾いています。
1505~06年にマントヴァの宮廷画家であり考古学者であったマンテーニャによって描かれた「ローマへのキュベレ崇拝の導入」です。祖先が大昔に太母神キュベレをトルコからローマへ迎えた責任者であったと主張するヴェネチア貴族コルナロ家の注文で、古典建築の浮彫彫刻のように見せた一連のシリーズの1枚でした。キュベレの胸像が輿にのせられて、司祭たちによって運ばれる様子が描かれています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」は、1508年ごろミラノのサン・フランチェスコ・デル・グランデ教会の祭壇画として描かれました。これより早く描かれたものがルーヴル美術館にあります。人里離れた水辺で洗礼者ヨハネはキリストを礼拝しています。
この絵は1506~10年にジョルジョーネによって描かれました。彼は謎めいた主題の詩的雰囲気に満ちた個人収集家向きの小型絵画が得意でした。この絵はヴェネチアの南にある16世紀の邸宅で再発見されたものです。タイトルの「Il Tramonto」は山(モント)の向こう(トラ)に夕日が沈むという意味で「日暮れ」と名づけられています。
1517~19年にヴェネチアの画家ピオンボによって、南西フランスのナルボンヌ大聖堂のために描かれた祭壇画「ラザロの復活」です。彼はミケランジェロの友人で、構図素描を提供してもらっています。死んだラザロを生き返らせるというキリストの奇跡がテーマです。キリストが指差しているのが生き返ったラザロ、足元の女性はマグダラのマリアです。
1518年頃、フィレンツェに近いポントルモ村出身のヤコポによって描かれた「エジプトのヨセフとヤコブ」。この絵は家具を装飾するためにボルゲリーニから息子のピエルフランチェスコとマルゲリータの結婚の祝いに注文されました。他国での商売の成功、彼の寛大さ、家族に対する思いやりを意味するヨセフの物語を選ぶのは当時の流行でした。また、夢を解読したヨセフの物語は寝室に飾るのに適しています。
「バッカスとアリアドネ」は1522~23年にティツィアーノによって、フェラーラ城を飾る連作の1点として描かれました。ティツィアーノは最も成功したベネチアの画家で、パトルンの中にはローマ教皇、フランス国王、スペイン国王、イタリアの主要な貴族や、ベネチア共和国政府などがいました。ナクソス島にテセウスに置き去りにされたアリアドネは去っていく船を見ています。その時バッカスは凱旋車から飛び降り彼女を花嫁に迎えます。ギリシア神話では有名な話ですが、絵画化されることは稀でした。
1524年頃にコレッジオによって描かれた「バスケットの聖母」です。聖家族を愛情に満ちた絵にしています。木下に座り、裁縫道具の入ったバスケットを傍らにおいて、縫い上げたばかりの上着を幼子キリストに着せてみている聖母。手足をばたつかせるキリスト。後ではヨセフが大工仕事をしています。マリアは青いドレスではなく、くすんだばら色のドレスをまとっています。
1526~27年にパルミジャニーノによって描かれた「聖母子と洗礼者ヨハネと聖ヒエロニスム」。北イタリアのパルマ出身なのでパルミジャニーノ(フランス語ではパルメザン)と呼ばれた画家が、ローマで製作した祭壇画です。右側から強い光を受けています。洗礼者ヨハネの表情もキリストの表情も独特です。
1530年頃、ベネチア生まれのロットによて描かれた「ルクレツィアの素描を持つ婦人」。彼はルネッサンス期でも際立って人物の描写に迫力がある肖像画の数々を残しています。この女性の名前はルクレツィアで、古代ローマの伝説に出てきた貞淑な人妻であるルクレツィアの素描を持っています。ロットの肖像画の多くは銘文や身の回りのものからモデルが誰か分かります。この肖像画は結婚を記念して注文されたものと思われます。
1540年頃、バッサーノのヤコポによって描かれた「カルヴァリオへの道」です。ヴェネチア風の衣装をまとった聖ヴェロニカがキリストの顔の汗と血を拭こうと身を乗り出しています。死刑執行人がキリストの胴にまかれたロープを引いて、ゴルゴダの丘へと急がせています。「悲しみのキリスト」はヴェロニカを見ていますが、私たちに訴えかけている語りかけているように見えます。
1540年頃ブロンズィーノによって描かれた「ヴィーナスとキューピッドのいるアレゴリー」
1560年頃ティントレットによって描かれた「聖ジョージと竜」です。染物屋(ティントーレ)の息子だったため、ティントレットという通称で呼ばれ、ヴェネチアの教会や信心買いのための祭壇画や宗教説話画の画家として絶大な人気を博していました。この絵は私的な祭壇用に注文されたものだと思われます。「黄金伝説」の竜が人身御供を求める話で、王女が犠牲者として選ばれたとき、馬に乗って通りかかった聖ジョージは彼女の救出に向かい竜を退治したことが描かれています。
1565~70年にヴェロネーゼによって、ピサーニ宮殿のために描かれた「アレクサンドロス大王の前のダレイオスの家族」です。アレクサンダー大王は、ペルシアを破った後、敵の母、妻、子供たちの命を助けました。敵の皇太后は背の高いヘフェスティオンをアレクサンダーと間違えて、その前にひざまずいてしまいました。アレクサンダーは「間違いではない。かれもまたアレクサンダーのような英雄なのだから」と言って礼儀正しく皇太后の気まずさを救いました。注文者の家族の肖像が混じっており、16世紀と古代の衣装が交じり合っています。
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