ヴィクトリア&アルバート博物館で浮世絵展が地味に行われています。
入場無料。見学者も少ないのですが、展示されているものはすごいんです。
例えば、この「富嶽三十六景」は、葛飾北斎(1760~1849)の代表作ですね~。本物ですよ~。このシリーズは天保初年ごろより、西村永寿堂から出版されました。「三十六景」なのに全部で46景あるのは、大変好評だったため、後から10景追加されたからだとか・・・。
神奈川沖波裏(1831)。北斎がこの富士山シリーズを描いたのは72歳の時です。すごいなあ・・・。
凱風快晴(1831)。通称、赤富士
山下白雨(1831)。通称、黒富士
北斎よりちょっと年上の喜多川歌麿(1753~1806)は美人画の大家。「八百屋お七」(1801-4)
北斎より9歳若い歌川豊国(1769~1825)は、役者絵や美人画で絶大な人気を得ました。この初代歌川豊国が中心となった歌川派は、江戸末期には浮世絵の最大勢力に発展していきます。三代目豊国(似顔絵)、広重(名所絵)、国芳(武者絵)は、歌川三羽烏と称されました。
歌川広重(1797~1858)は、北斎より37歳も若いのですが、北斎を尊敬し、教えを請うために北斎のもとを訪れていたのだそうです。北斎が72歳で「富嶽三十六景」を発刊した年に、35歳の広重は「東都名所」を発表して風景画家としての評価を受けます。この絵は「木曾街道六十九次・宮ノ越」(1835-44)。
「木曾街道六十九次・下諏訪」(1835-44)。ちなみに木曾街道とは中山道のことです。広重は他に東海道五十三次、金沢八景、近江八景、名所江戸百景などの旅シリーズを描いています。
広重の絵を寄せ集めた本(Picture Book Miscellany)(1848-54)も展示してありました。
「鎌倉・七里ガ浜」(1855)。広重の絵の大胆な構図と藍色の美しさが欧米で評価され、印象派の画家たちやアール・ヌーヴォーの芸術家たちに大きな影響を与え、ジャポニズムの流行を生んだとされます。
広重「両国の月」(1856)
広重「玉川上水」(1857)
広重と同世代の歌川国芳(1798~1861)の「鬼をつかむ鍾馗(しょうき)」(1849~51)。来週からロイヤル・アカデミーで歌川国芳展が始まります。
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