2016年1月22日金曜日

イスラムの陶磁器の歴史

シルクロード唐の時代になると、中国各地の窯で陶磁器が盛んに作られるようになり、シルクロードを通って運ばれました。陶磁器の輸送にあたっては、海のシルクロードが主役を果たしました。重くて割れやすい商品の輸送には、陸路より海路の方が向いていました。しかし、当時の船は季節風を待って航海したため、中国とアラビアの間を往復するのに、普通は4年かかったそうです。海難も多く、輸送コストは高いものでした。ですから、磁器は同じ目方の黄金の器と交換されたなどどという伝説が生まれたくらいでした。中国の磁器は、イタリア商人によってヨーロッパに持ち込まれ、王侯貴族、高位聖職者、豪商だけが磁器を持つことができ、ステイタス・シンボルになっていました。


青花
シルクロードの中間地点のペルシアでは、何とかして中国と同じ白磁を作りたいと思い、いろいろとやってみましたが、どうしてもできませんでした。9世紀のアッパース朝では、陶器の全面に錫釉で化粧がけをして(焼くと錫釉は真っ白になる)、コバルトで絵付けをした、見た目は中国の「青花」のように見える陶器を作る方法を考え出しました。これは、イスラム文化と共にイベリア半島に伝わりました。


ラスター
ラスターとは「光沢」という意味です。9世紀にダマスカスで生まれヨーロッパではイスラム文化と共にイベリア半島に伝わって、12世紀ごろから盛んに作られるようになりました。透明な釉薬をかけて焼いた陶器(地はクリーム色)の表面に、酸化銅の粉末と黄土を練り合わせたもので絵付けをしました。偶像崇拝を禁じているイスラムでは、主に草花、文字(カリグラフィー=書体デザイン)、幾何学模様(アラベスク=植物文様をさらに抽象化したものです)を描きました。もう一度窯に入れ、還元炎(窯の温度が上がってから空気の供給を少なくし、黒い煤がうんと出るようにした炎)で焼きます。酸化銅は還元され、金属銅の微粒子になって、透明な有益の表面に固着します。それが光線の加減や、見る方向によって、赤っぽい金色にか彩至り、玉虫色に微妙に色調を変えたり、暗褐色に見えたりします。豪華に見えるため、昔は王侯貴族の間で人気がありましたが、日用に使っていると絵付けが次第に剥げ落ちてきて、ラスターの意義がなくなってしまうので、大事な客をもてなすときにだけ使って、普段は壁に飾っておいたそうです。建築で壁面タイルなどにも利用されています。特にアルハンブラ宮殿が有名です。



タイル11世紀から12世紀にかけて、セルジューク朝のペルシャでは、モスクを飾るために多種多様な陶器が生産されるようになりました。色も青や藍、緑だけでなく、黄色、赤、黒、茶色と増えていき、何種類ものタイルを所定の形に切り刻んで集成するというモザイクがつくられました。13世紀から14世紀には、星型や十字型、花や鳥を文様化した鮮やかなタイルもつくられました。



青磁

15世紀のエジプトでは、透明度、うわぐすりなどの面で中国技法の模倣に成功し、イスラム青磁を大量に生産しました。


イズニック
16世紀のオスマントルコでは、鉄分の多いアルメニア粘土による赤色の顔料が加わり、イズニックを中心に独創性に富んだ陶器が生産されています。

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