ジョージアン・アパートメントは、ハンプトン・コートに最後に宮廷を置いたジョージ2世とキャロライン妃が滞在したアパートメントです。ジョージ2世には8人もの子供がいたので、チューダー時代のアパートメントの跡地に新しい建物を増築することになりました。建築家ウイリアム・ケントが設計し、1732年に完成しました。
最初の部屋は公爵の謁見室と呼ばれ、ジョージ2世一家と宮中の人々の肖像画が飾られています。これは長男の「フレデリック皇太子」の肖像画です。
次の部屋は公爵の寝室です。公爵というのは、ジョージ2世の次男である、カンバーランド公爵ウイリアム・オーガスタスのことです。
そして、次の部屋が公爵の応接室です。カンバーランド公爵は、時々ここで食事をしました。
廊下にはネラーが描いた「ジョージ2世」と「キャロライン王妃」の肖像画が飾られています。
突然、1530年代の部屋、ウルジーの書斎に入ります。キリストの受難を描いた絵画も16世紀前半の作品です。
金箔を施した天井には、チューダー朝のシンボルであるバラや、皇太子の羽の記章などが使われています。側面には人魚、イルカ、花瓶などのモチーフが見られ、その下にはウルジーのモットーDominus Michi Adjutorが刻まれています。
そして、また18世紀の廊下に戻ります。
チューダー調の窓がかわいい。
コミュニケーション・ギャラリーと呼ばれる廊下には、ピーター・リリーが描いた「ウインザーの美女たち」と呼ばれる肖像画のシリーズが飾られています。チャールズ2世の愛人たちという説もあります。
カートゥーン・ギャラリーはラファエロの「使徒行伝」を飾るために、クリストファー・レンが設計しました。
「使徒行伝」とは1516年にローマ法王レオ10世が、
バチカンのシステーナ礼拝堂を飾るタペストリーのために、
ラファエロに描かせたカートゥーン(下絵)です。
ブリュッセルでタペストリーが製作された後、1623年にチャールズ1世が下絵を購入して、
英国王室の所有となり、1697年からこの部屋に飾られていたのですが、
1865年にヴィクトリア女王がヴィクトリア&アルバート博物館に寄贈してしまいました。
現在、この部屋に飾られているのは、1697年にヘンリー・クックという画家が、このギャラリーで製作した複製です。
この部屋から見たファウンテン・コート(中庭)です。
次は王妃のプライベート応接室です。王妃と宮廷の貴婦人たちは、当時人気のカドリルというカードゲームに興じていました。
当時は高級品だった紅茶も用意されています。カードゲームに加わらない人のために、本も用意されています。ペルシャ絨毯は17世紀のイスファハン製です。
こちらは王妃のプライベート寝室。王と王妃が寝室を共にする時は、必ず王妃のプライベート寝室を使います。宮廷の人々が頻繁に出入りする王の寝室に比べて、王妃のプライベート寝室は宮殿の中でも最も私的な空間で、人の出入りも激しく制限されていました。ベッドの上にはキャロライン王妃が使っていた1716年製の銀の湯たんぽが置いてあります。
次は王妃が入浴したり、着替えたりした部屋で、衝立によってプライバシーを守りました。木製の浴槽の粗い木目で肌が傷つかないように浴槽に布を張り、湯は階下からバケツで汲み上げます。
次の部屋は王妃のプライベート・ダイニング・ルームで、王妃は女官たちにかしずかれて食事をとりました。王もここで食事することが多かったようです。
ダイニング・ルームで供される料理は、隣のサイドボードの間にまず運ばれました。給仕用テーブルで、ワインをデカンタに移して沈殿物を取り除きます。
大理石の蛇口つきの水桶で、グラスの汚れを落としていました。
この部屋は王妃のプライベート礼拝堂で、ドーム天井の下で王妃のための祈祷が捧げられていました。
王妃専用のプライベートな階段を下りて外に出ると、ファウンテン・コート(中庭)がこのように見えます。
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