チャールズ・ダーウィンが1842年から40年間住んだダウン・ハウス。 「種の起源」が執筆された場所としても歴史的に重要な屋敷は、現在イングリッシュ・ヘリテージが管理しています。 (家の中は撮影禁止)
チャールズ・ダーウィンは、1809年シュルーズベリーの裕福な家柄に6人兄弟の5番目として誕生しました。
父親のロバートは医師で実業家、母親スザンナは陶芸メーカー、ウエッジウッド社の創業者の娘、父方の祖父エラスマス・ダーウィンは高名な博物学者でした。
医者の家系に生まれたにもかかわらず、チャールズは学校の勉強には興味を示さず、エジンバラ大学の医学部に入りましたが馴染めずに中退。聖職者にな
るためにケンブリッジ大学クライスト・カレッジに入学し、そこで植物学者のジョン・ヘンズロー教授に出会います。
大学を卒業して田舎にいたチャールズはヘ
ンズロー教授から英国海軍の測量船ビーグル号の艦長が博物学者を探しておりチャールズを推薦したという手紙が届きます。
1831年プリマスを出発したビーグル号は2ヵ月後南米に到着。寄稿する先々でその記録を詳細に綴り、山のように集めた標本を本国のヘンズロー教授
に送りました。
アルゼンチンで発見したメガテリウム(古代ナマケモノ)は、英国におけるダーウィンの名声を高めました。
1835年9月、ガラパゴス
諸島に到着。珍しいイグアナやゾウガメ、鳥類の標本採集に没頭します。1836年ファルマス港に帰着します。
1939年いとこのエマと結婚。1842年ケントのダウン村に移り住み、生涯を過ごすことになります。
1882年、73歳で没すると、国葬が執り行われウエストミンスター寺院に埋葬されました。
キッチンは現在カフェになっており、
シンプルな(本当にシンプルな)食事ならできます。
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