2017年2月23日木曜日

オペラ座にオペラのチケットを買いに行く

夏に来るお客様のオペラのチケットを買うために、ロイヤル・オペラに行って来ました。

 若い踊り子の像(1988)

ガラスの建物の中はレストランです。

チケット・オフィスは次の建物のコーナーにありました。

PCでもチケットを買えるけど、ここに来るとパンフレットなどをもらうことができます。

6月14日の「椿姫」のチケットを買いました。

2017年2月22日水曜日

コベントガーデン・アンティーク・マーケット

コベント・ガーデンのジュビリー・マーケットは、

月曜日はアンティック・マーケットになります。

骨董品に興味がある人は、

是非行ってみてください。

見ているだけで、楽しいですね。




2017年2月20日月曜日

ボリスの髪型

現在の外務大臣、元ロンドン市長のボリス・ジョンソンは、

イートン校卒+オックスフォード大学卒の超エリートなのに、いつも髪の毛がボサボサです。

彼の理容室は北ロンドンにあるThe Bay Room、133 Goswell Road, EC1です。

2017年2月19日日曜日

テート・ブリテン イギリスの近代彫刻

テイト・ギャラリーは16世紀から現在までのイギリス絵画の美術館です。

トーマスブロック作  ヘンリー・テイト 1898

イギリス美術のコレクターで砂糖で財を築いたヘンリー・テイトは、1889年政府が土地を提供するならばという条件で自分のコレクションと建物を国に寄贈すると申し出ました。

アントニー・ゴームリー 型、穴、道、三通り 1980-82

アニッシュ・カプーア 祝福するかのように、私は赤い花の咲き乱れる山を見つけた 1981

トニー・クラッグ サヴァンナにて  1988

リチャード・ディーコン 開いた口がふさがらない 1988

2017年2月18日土曜日

テート・ブリテン ガイド・ツアー

テートブリテンのピムリコ側入口から入り、

階段を上ったところに

  ミーテイング・ポイントがあります。

柱に書かれた時間にここに来ると、

無料ツアーに参加することができます。

結構たくさんの人が参加して

熱心に話を聴いています。

2017年2月17日金曜日

テート・ブリテン イギリス絵画の歴史 ヴァン・ダイク

ジョン・ベッツ 黒い帽子の男  1545
テートが所有する最古の絵画。バーゼル出身。ホルバインの表現様式に写実主義をもって描かれました。

ハンス・エワース ある貴夫人の肖像 1565
アントワープ出身。

エリザベス1世  1563

ジョージ・ガウワー  レディーキトスン 1573

マルクス・ヘーラーツ2世 サー・ヘンリー・リー 1600
フランドル生まれ。宗教迫害を受けてロンドンに逃れてきました。

作者不明 チゃムリー家の姉妹 1600-10
画面左下の隅には 「彼女たちは同じ日に誕生し、同じ日に結婚し、同じ日に出産した」と書いてあります。

 ナサニエル・ベーコン 料理女と新鮮な野菜と果物 1620-1625

ヴァン・ダイク サー・ウイリアム・キルグレー 1638
アントワープ出身で早くからルーベンスの工房で働いていました。イングランド王チャールズ1世に宮廷画家として招かれました。のちのイギリス肖像画家に影響を与えました。

ヴァン・ダイクのサイン

ヴァン・ダイク キングレー夫人 1638

ウイリアム・ドブソン エンディミオン・ポーター 1643-45
イギリス人画家。1646年に亡くなるまでのオックスフォードの宮廷で数年間、チャールズ1世の宮廷画家として作品を描きました。

2017年2月16日木曜日

テート・ブリテン イギリス絵画の歴史 リリー、ネラー

リリー スザンナと長老たち  1650
リリーはオランダ人の両親の間にドイツで生まれました。ロンドンに渡ったのは1641年(同じ年にヴァン・ダイクが死去しています)リリーがイングランドで描いた初期の絵画は神話画、宗教画、そして田園風景を背景にした肖像画で、ヴァン・ダイクの影響が見られます。チャールズ1世が処刑されたあともリリーの画家としての才能は認められ、イングランドを支配したオリバークロムウェルに雇われています。1660年に王制が復活し、リリーは1661年にチャールズ2世から主席宮廷画家 の地位とを授与された。その後レリーは1662年にイングランドに帰化しました。その後間もなくサマセット公爵夫人の肖像画を描くためにイーゼルに向かっている最中に亡くなり、コヴェント・ガーデンのセント・ポール教会に埋葬されました。

リリー レイク家のふたりの婦人 1660

リリー エリザベス、キルデール侯爵夫人 1679

ネラー  エリヤと天使 1672
ゴドフリー・ネラーはハンブルグで生まれました。ライデンで学び、アムステルダムでレンブラントの弟子となります。1674年にイングランドに到着し、チャールズ2世の肖像画を描きました。1680年にリリーが亡くなると、ネラーはチャールズ2世より首席宮廷画家に任命されます。ウイリアム&メリー、アン女王、ジョージ1世の治世を通してイギリス美術界の重鎮であり続けました。1723年に亡くなり、トイッケナム教会に埋葬されました。

ネラー ジョン・スミス 下院議長 1707-08
スミスは議長の衣を着ています。この肖像画は1707年のユニオン・アクト(イングランドとスコットランドの連合法)の締結の成功を記念して描かれました。

2017年2月15日水曜日

テート・ブリテン イギリス絵画の歴史 ホガース、カナレット

ホガース パグと自画像 1745
18世紀初頭までイギリスの絵画を支えてきたのは外国人画家でしたが、この時代やっとイギリス人によるイギリス絵画ホガースが登場します。辛らつな風刺のきいた教訓的な風俗画は進行の市民階級に絶大な人気を博しました。ホガースは当時の市民社会の世相を描き、家族のカンヴァセーション・ピース(団欒図)を確立します。

パレットが描かれているのは職業が画家という意味



ホガース 乞食オペラ 1731
1728年にリンカーンズ・イン・フィールド劇場で上演され大成功を収めたオペラのクライマックスの場面。追いはぎの巻くヒースが死刑の宣告を受けています。2人の女性ルーシーとポリ=はいずれも彼と結婚していると信じて夫の命乞いをしています。

ホガース カレーの門 1748
1748年にホガースはフランスを訪れ、カレーでイギリス人スパイの容疑をかけられ逮捕されました。イギリス人が持つローストビーフと、飢えたフランス人、哀れなスコットランド人、太った僧侶を描いています。

カナレット グリニッジ 1750-52
18世紀になるとヴェネチアでは都市景観図が流行しました。古代の遺跡やルネッサンス時代の美術を見に来る観光客がお土産として買って行きましたl。カナレットはヴェネチアの町や運河を描いて、特にイギリス人コレクターに人気を得ました。カナレットはイギリスに滞在してロンドンの景観なども描いて、その後のイギリス風景画に影響を与えました。

カナレット 聖ジェームズ公園から  1749

サミエル・スコット ウエストミンスター橋 1750