1855年春に妻の伯父、1856年夏に妻の母が相次いで亡くなり、遺産の一部を相続したため、マルクス家の家計は少し楽になります。
マルクス家はロンドン北部グラフトン・テラス46番地へ引越しました。当時この周辺は開発されていなかったため、不動産業界の評価が低く、安い賃料で借りることができました。ジェニーはこの家について「これまでの家と比べれば、新しい家はお城のようでしたが、足の便の悪い所でした。ちゃんとした道路がなく、雨の日はブーツが泥だらけになりました」と語っています。
郊外に引っ越してもマルクス家の金銭的危機は続きました。1857年にはじまった恐慌で、エンゲルスの給料が下がったうえ、原稿数も減り収入が半減しました。1861年に『ニューヨーク・トリビューン』から解雇されると困窮が深刻化しました。金融業者と質屋を回る生活が続き、終わる気配のない困窮状態に夫婦喧嘩が絶えなかったようです。
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