こ れは大英博物館の「恥じらいのヴィーナス」はローマ時代(1~2世紀)の彫刻です。
ギリシア彫刻と、ローマ彫刻は大変よく似ています。だってローマ人がギリシア彫刻に憧れてコピーしたのですから似ているはずです。ギリシア彫刻、ローマ彫刻の「見分け方は?」と聞かれたとき、私は「造られた時代と場所」と答えています。本当はそんなに単純ではありませんけどね。大英博物館の彫刻を使って違いを書いておこうと思いますので、参考にしていただけたら幸いです。
アルカイック期(紀元前700~500)の彫刻は、アルカイック・スマイルといわれる微笑が特徴です。姿勢はまっすぐ。左足を前に出しているのは、エジプト彫刻の影響でしょうか。
ク ラシック期(紀元前450~320)になると、重心を片足にかけたコントラポストが特徴になります。ギリシア彫刻の男性は、オールヌードです。古代オリン ピックが全裸で行われたように、ギリシアでは男性が美しい肉体を持つことは、重要なことでした。本人に似ている必要は無く、本人が美男子でなくても、当時 一番美しいとされる男性像にしてしまったそうです。
パルテノン神殿の彫刻はクラシック期の代表です。
男性に比べて、女性の彫刻は着衣の女神像です。
古代ギリシアでは女性の地位は低く、精神的にも男性に劣る存在であると考えられていたので、女性が肌をさらすことなど、道徳的に許されませんでした。パルテノン神殿は、アフロディティでさえも着衣姿です。
紀 元前330年ごろ、ギリシアの北方にあったマケドニアのアレクサンダー大王が地中海沿岸からインダス川まで支配する大帝国を築き上げます。領土が一気に拡 大したので、様々な民族や言語や文化が交差する社会となります。ヘレニズム期は、それまでのギリシア人だけの理想主義が薄れ、誰が見ても分かりやすい表現 が必要になってきます。ヘレニズム文明の彫刻で有名なのは、ミロのヴィーナスです。このころから限定付きで(ヴィーナスならOKとか)、女性のヌード像が 増えてきます。
紀 元前27年、オクタヴィアヌスがアントニーとクレオパトラに勝利して、元老院からアウグストゥスの称号を与えられます。帝政ローマが始まりです。美術に関 しては遅れていたローマ人たちは、ギリシア彫刻をローマに運んで、大理石でレプリカを作成しました。広大な領土を持つローマでは、帝国内の街に皇帝の彫刻 や騎馬像を設置しました。皇帝の彫刻は、本人に似ている必要があり、写実的になってきました。美しい人ばかりではなく、個性的になってきました。
ローマ時代には、男性のヌード像が造られなくなくなりました。ローマ人はギリシア人とは価値観が違いました。ギリシア人は運動競技を非常に重視し、スポーツや劇はポリスの神事と考え、市民が自ら行うものであり、奴隷や外国人には出場を許さなかったのに対し、ローマ人は、スポーツや劇は見世物であり、奴隷などを養成したプロ選手に危険な戦車競争をやらせたりして、そのスリルを楽しんでいました。
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