ナショナル・ギャラリーにある美貌の女流画家エリザベート・ヴィジェ=ブラウンの自画像。彼女は悲劇の王妃マリー・アントワネットの肖像を20点以上も描いたことでも有名です。
エリザベートは、マリーアントワネットと同じ1755年生まれ。父親も画家で、幼い頃から父親のアトリエに出入りして、自然に絵を描くための技法を学びました。彼女が描く肖像画は群を抜いており、上流社会の人々から絶大な賞賛を受けるようになり、19歳でアカデミー会員に迎えられます。
21歳で画商のルブランと結婚。あまり幸せな結婚ではありませんでしたが、娘のジャンヌは愛しました。
24歳で王妃マリー・アントワネットの肖像画を描きました。王妃はこの肖像画が気に入り、王妃の母であるオーストリアのマリア・テレジアに贈りました。今もウィーンの美術史美術館で見ることができます。
28歳の時、展覧会のため木綿の服に麦藁帽姿の王妃の肖像を描いて評判になりますが、王妃として相応しくないとする宮廷の人々の意見によって、絵は取り外され、
代わりに青いドレスに盛装した王妃の肖像画が展示されました。
32歳の時、「マリー・アントワネットとその子供たち」を描きました。
1789年、フランス革命を避けてイタリアに亡命。画家としての名声は外国にも響いており、イタリア、オーストリア、ドイツ、ロシアでも、敬意を持って迎えられました。ルイ18世が即位して王政復古が始まると、フランスに戻りますが、夫と娘を亡くします。その後も、1842年87歳で亡くなるまで、ずっと絵を描き続けました。
彼女の絵はフランス革命時代の作品として高い評価を得ていますが、自らの才能によって人生を切り開いた女流画家としての人生も興味深いと思います。
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