地下鉄オーヴァル下車。クリケット場前からバスに乗りました。
フロッデン・ロードの6番地に漱石の3番目の下宿がありました。
女子寄宿学校を経営していたサラとケイト・スパロー姉妹のひとりが、ブレット氏と結婚して3人で下宿屋経営をしていました。
週1ポンド5シリングで、多くの日本人が下宿した家ですが、下宿人が少なくなると経営が苦しくなって食事の質も低下しました。
当時の建物はもう残っていません(1966年に取り壊されました)が、(同じ通りの)こんな建物だったのではないかと思います。
この下宿で一緒だったのが、横浜のサミュエル・サミュエル商会勤務の田中幸太郎(1872-1950)です。1901年2月1日に漱石と一緒にダリッジ・アート・ギャラリーに行きました。
下宿の主人の肩に乗ってヴィクトリア女王の葬列を見たのも、この時期です。
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