アメンホテプ3世像 第18王朝 紀元前1350年 テーベのアメンホテプの神殿
王の葬祭殿に建てられていた像を破片から復元しました。
ライオン像 第18王朝 紀元前1400年 ヌビア
ラムセス2世の王名表 第19王朝 紀元前1260年 アビュドスのラムセス2世の葬祭殿から発掘された王名表。歴代の王の名が記されていますが、異端の王の名は記されておらず、ハトシェプト、イクナテン、ツタンカーメンの名前が抜けています。
Tjetjiの偽扉 第4-5王朝 (紀元前2500-2400) ギザ
Kaihapの偽扉 第5王朝 (紀元前2450) サッカラ
プタハシェプセスの偽扉 第5王朝 紀元前2450年ごろ サッカラ
古王国時代に 要職についていたプタハシェプセスの墓の偽扉。偽扉は死者の魂が遺族が捧げた供物を受け取るために、埋葬室から礼拝室へ抜けるときに通ると考えられていた扉で、上段にはオシリスやアヌビスなどの神々への呼びかけや、供養文が刻まれています。 赤い色をしているのは花崗岩に似せるためで、材質は石灰石です。
Nenkheftka像 第6王朝 紀元前2200年 墓の埋葬品
召使いの像 第11王朝 紀元前2050年 メリの墓の埋葬品 ぺアだったらしい
役人の像 第12王朝 紀元前1900年
アメネムハトの像 第12王朝 紀元前1850年 アビドス
センウセルト3世の像 第12王朝 紀元前1850年 テーベ
王の名前はベルトに記されたカルトーシュから判明しました。この王の治世から初めて実物に似せた彫刻が作られるようになり、表現もリアルになってきます。
パピルスの柱 第18王朝 紀元前1500年
アンクハラクラの像 第12王朝 紀元前1850年
トトメス3世とされる像 第18王朝 紀元前1450年ごろ カルナック神殿
新王朝のトトメス3世(紀元前1479~1425)、またはその息子アメンホテプ2世(紀元前1427~1400)のものと推測される像。後にラムセス2世(紀元前1279~1213)とその息子メルエンプタハ(紀元前1213~1203)がこの像に自らの名前を刻みました。王冠は上エジプトの支配者が被る白冠です。
スフィンクスの髭 赤く彩色された名残が見られます。
スフィンクスが作られてから1000年後に付け加えられました。
アメンホテプ3世の像 第18王朝 紀元前1390年 カルナックのムート神殿
古代エジプトで最も栄えた時代のアメンホテプ3世(紀元前1390~1352) の像。頭部の高さは2.9メートル。胴体部分もムート神殿にあり、神殿を見下ろす位置に据えられていました。
ソボケメサフ1世 第17王朝 紀元前1630年
アメンホテプ1世 第18王朝 紀元前1510年 テーベ
アメンホテプ1世(紀元前1525~1504)は、アメン神への信仰が厚かった。冥界の王オシリスの姿をして、笏杖と殻竿を持っていました。
夫婦の像 第18王朝 1350年ごろ
第18王朝の将軍で、後に王となったホルエムヘブとその妻の像。欠損した手の部分は1976年にサッカラに残る彼の墓で発見されました。
アメンホテプ3世像 第18王朝 紀元前1370年 テーベ
アメンホテプ1世妃アハメス・メリトアメンの像 第18王朝 紀元前1550年 カルナック
王妃は愛と音楽の女神ハトホルのような鬘をつけています。下半身はまだカルナックのアメン・ラー神殿にあります。
テティの像 第18王朝 紀元前1450年 カルナック神殿
トトメス3世時代のヌビア征服担当
アメンホテプ 第18王朝 紀元前1400年 アビドス
ハトホル女神 第18王朝 紀元前1400年 テーベ
ロゼッタ・ストーン プトレマイオス王朝 紀元前196年
黒い玄武岩にヒエログリフとデモティックとギリシア文字で書かれたプトレマイオス5世を讃える碑文。
アメンエムハト3世の像 第12王朝 紀元前1830年 ブバスティス
中王朝のメネムハト3世(紀元前1854~1808)は有力なファラオの一人で、2つのピラミッドと3000の部屋があったという迷宮を建て、灌漑用水路を整えています。祖父のセンウセレト3世同様、高い頬骨などに特徴があります。ネメスという頭巾を被り、付け髭を蓄えるのは王である象徴です。目は象嵌されていました。
トトメス3世のモニュメント 第18王朝 紀元前1450年 カルナック神殿
柱の周りに6体の像が手をつないで背中合わせに立っています。2体はトトメス3世を表し、鷹の頭をした2体はメンチュウ・ラー神を表し、2体は愛と恵みの女神ハトホルを表しています。
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