地下鉄クラッパム・コモン駅の前には、大きなグリーンがあります。
コモンというのは誰でも入ることができる森のことで、今は公園になっています。
教会の前を通って、公園の反対側へ。
高級住宅地ですね~。
国会議事堂の設計をした
チャールズ・バリーの家もあります。
漱石は知人の紹介でザ・チェース通り81番地に移ります。
この3階に、帰国までの1年4ヶ月住んでいました。家主は50代前後のプリシラとイライザ
リール姉妹。月7ポンドで3食付なので、本屋や散歩以外は部屋にこもり、読書と論文書きに集中していました。
有名人が住んでいた家に付けられるブルー・プラーク。1902年夏、漱石はノイローゼになりますが、クラパムコモンで自転車を練習したり、10月にはスコットランド、ピトロホリーへ旅行したりして乗り切りました。
漱石が妻に手紙を出したと思われるヴィクトリア時代のポスト。
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