サウス・バンクは、英国最大のターミナル駅であるウォータールー駅前、テムズ川沿いの地域のことです。仕事のために、サウス・バンクの土地を所有・開発しているコイン・ストリート・コミュニティー・ビルダーズという社会事業団体について勉強しています。
昔は、洪水の起こりやすい低湿地帯で、住民は非常に貧しく、助け合って生活していました。
1951年にフェスティバル・オブ・ブリテンが開催され、跡地はロイヤル・フェスティバル・ホール、ナショナル・シアター、ナショナル・フィルム・シアターなどになりました。1960年代にシェル石油が本拠地をサウス・バンクに移し、それ以降LWT(テレビ局)、IBMなどの企業が移転してきました。
1970年代初めには、住民は5万人から4千人に激減し、学校や店は閉鎖に追い込まれました。1974年以降、地元住民は、この地域への巨大オフィス・ビル建設計画に対して反対運動を展開しました。1977年、開発業者が当時ヨーロッパで一番高いホテルとオフィスビルの建築計画を発表したのを機に、コイン・ストリート・アクション・グループが、結成されました。
そして、住宅、遊歩道、公園、管理オフィス、ショップ、レジャー施設を含む、複合開発案を盛り込んだ計画書を提出しました。当時、土地の半分はオフィス開発業者により所有され、残りの半分はグレーター・ロンドン・カウンシル(市役所)が所有していました。1984年、カウンシルは、コミュニティー開発計画への支持を表明。1984年にはオフィス開発業者は所有地をカウンシルに売却。カウンシルはすべての用地をコインストリート・コミュニティー・ビルダーズに売却しました。
1984年から88年にかけて、コイン・ストリート・コミュニティー・ビルダーズは放置建物の解体や、テムズ川沿いの遊歩道、公園などを造りました。4棟からなる共同集合住宅220軒は、太陽熱を利用した加熱装置、濃縮ボイラー、ソーラーパネルなどを採用しています。これらの集合住宅施設は、ロンドン中心部で低賃金で仕事に従事する人のために、賃貸料を低めに設定しています。
う~ん。住民中心の開発って言うのは、とても面白いけど・・・。別に、こんな駅前の一等地に、一部の人だけが得をする住宅を造らなくていいんじゃないでしょうか?駅前にはやっぱりデパートとか、ホテルとか、作りましょうよ~。
3 件のコメント:
地元住民に開発を委ねるなんて、当時からロンドンは革新的だったのですね。ロンドンから離れた田舎者からみたサウスバンクはオシャレなところというイメージしかないのですが…
ところで、hirokoさんはブルーバッジガイドをされているんですね、いいな~!
リバプールで一度だけ、それも15年位前に外国語のブルーバッジガイドを養成するためのコースを募集していたのです。が、次回と思い見送ったら、次回がなかった(笑
りささん
コメントありがとう。
仕事のためにまとめたのですが、せっかくだから、ブログにも使おうと思って、載せてしまいました。
一等地の開発を住民に託すなんて、さすがイギリスはマグナ・カルタの国だと思いますね。
また、時々覗きに来てくださいませね。
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