トロイア戦争で負けたアイネイアスと息子のアスカニウスはイタリアのラティウムという町にたどり着きます。そして王の娘と結婚し、新たな町を建設し、ラウィニウムと名付けました。
軍神マルスを父とするロムルスとレムスは生まれるとすぐに叔父によってテヴェレ川に捨てられますが雌オオカミに育てられ、紀元前753年にローマの基となる町を建設しました。お互いの領域を侵さないという誓いを破ったレムスを殺害して、ロムルスがローマの初代国王になりました。
紀元前509年、タルクィニス王を追放して、共和制を確立。元老院(パトレス、国民の代表として知識があり人々の信望を集める人)から毎年2人の執政官(コンスル)が治める共和国となりました。平民(プレブス)には重い税金と兵役が課せられました。
紀元前396年、エルトリア人との抗争で優位に立ちます(エルトリアの衰退)。
紀元前390年、ケルト人によるローマ侵攻。
紀元前340年、サムニウム人の侵入を期にカンパニア平原を統治。周辺国への進出。
紀元前312年、アッピア街道(ローマ~カプア間211キロ)建設。
紀元前270年、全イタリアを支配します。
紀元前264年~紀元前146年、ポエニ戦争でカルタゴを打ち破り地中海全域に領土を拡大しますが、強大過ぎて国内に反乱が発生します。
カサエル(シーザー)は各地の反乱を収め、三頭政治を行い、ポンペイウスを倒し、国内を統一しますが、暗殺されます。
クレオパトラ7世 ポンペイウスを追ってエジプトへ行ったカエサルはクレオパトラと恋に落ち、2人の間にはカエサリオンという男の子が生まれます。カエサルが死んだ後はアントニウスと結婚しましたが、紀元前31年アクティウム沖の海戦で敗れ、アレクサンドリアに帰り自殺しました。
アウグストゥスは紀元前27年に元老院から国家を平定させたとして尊厳ある者の称号を受けます。西はイベリア半島、北はドナウ川、東はユーフラテス川まで領土が拡大し、パスク・ロマーナをもたらすことができました。
アウグストゥスの3番目の妻で53年連れ添ったリヴィアには2人の連れ子がいましたが、兄のドルーススは国民の人気も高く次期皇帝と思われていましたが、戦闘中の落馬が下で亡くなり、
弟のティベリウスが第2代皇帝になります。人気は一向に上がらず、年と共に人間不信になり、西暦19年頃カプリ島に隠居します。
ガイウス・カサエルはユリアとアグリッパの長男で皇帝候補でしたが、西暦4年に若くして亡くなります。
ゲルマニクスは、ドルーススの息子で、ティベリウスの甥、次期皇帝候補でしたが戦死しました。
第4代皇帝クラウディウスはカリグラに取るに足らない男と思われていたので生き残りました。西暦43年にブリタニアを侵略することを決意し、生涯でたった一度の遠征をしました。西暦49年姪のアグリッピナと結婚し、連れ子のネロを養子にしますが、妻に毒を飲まされて殺されます。
第9代皇帝ウェスパシアヌスは兵士にも元老院にも支持され皇帝になり、財政の健全化に努めました。75年コロッセウムの建設を始めます。
第10代皇帝ティトゥスの時代は、79年にヴェスヴィオ火山の噴火があったり、翌年には疫病が流行したりして大変でした。
第13代皇帝トラヤヌスはヒスパニア生まれで、皇帝に指名されたときはゲルマニア総督でした。ローマ市内に上水道と四大街道を整備し、東方遠征による領土の拡張を行いました。
第14代皇帝ハドリアヌスは前皇帝の領土拡大政策を中止、官僚を組織化し、法律を整備、貨幣制度の統一、地方都市を保護し、属国に対する差別の撤廃をしました。121年から属国の視察に出向いて、ガリア、ゲルマニアを回り、122年ブリテン島に渡った。北から侵入するケルト人から防衛のための長壁120キロを造らせました。その後、スペイン、シリア、トルコを回って、ギリシャへ行き荒廃したギリシャ神殿を建て直し、出発から5年後にローマへ帰ります。128年には北アフリカ視察。132年にはエルサレムで起きたユダヤ人の反乱を鎮圧するために遠征しました。
アンティノウスはハドリアヌスがトルコ遠征中に見つけた美少年で、旅に同行させましたが、エジプト視察中に事故で亡くなります。ナイル川の岸にアンティノポリスという都市を建設し、彼を神格化しました。
第15代皇帝のアントニヌス・ピウスは高潔で、貧困家庭を支援したり、法典を整備して市民の権を守ったりした。
第16代皇帝マルクス・アレリウスはスペイン出身で、幼い時に両親を亡くしましたが、叔父に育てられ、ハドリアヌスにもかわいがられました。6歳で騎士、8歳で神官、17歳で元老院議員、18歳で福皇帝、19歳でコンスルに就任しました。哲人皇帝と呼ばれ、自省録(日記)を書きました。息子はコンモドゥス。
マルクスの共同統治者のルキウス・ウェレスは、ハドリアヌスが後継者に指名したルキウス・アエリウスの息子でマルクスより9歳下。166年のゲルマニア遠征で病死。
第20代皇帝セプティミウス・セウェルスは初のアフリカ出身の皇帝で、元老院を無視して独裁政治を行いました。208年ブリタニア全域を支配すべくカラカラとゲタを連れてドーバーを渡りますが、211年にヨークで亡くなります。
第21代皇帝のカラカラは、皇帝になるとすぐに共同統治者である弟ゲタを殺害、ゲタノ支持者2万人も処刑、妻も処刑しました。兵士は優遇したので、軍隊から強い支持を得ていました。ローマ帝国内すべての自由民にローマ市民権を与えます。西暦217年大浴場を建設します。
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