2009年1月31日土曜日

マダム・タッソーのオバマ大統領

今一番世界の注目を集めている人は、オバマ大統領でしょう。ということで、オバマさんに会ってきました。もちろん本物ではなく、マダム・タッソーの蝋人形ですけどね。

ブッシュさんは過去の人。端の方に追いやられていました。

2009年1月30日金曜日

チャイニーズ・ニュー・イヤー

恭賀新年!ということで、ロンドンの街にも旧正月の季節がやってきました。

ヨーロッパ最大のチャイナ・タウンをかかえるロンドンでは、旧正月は人種・宗教に関係なくみんなが楽しめるイベントになっています。

Gerrard Streetの赤い提灯の群を見るだけでも、この時期にチャイナ・タウンに出かける価値があると思います。

隣のLisle Street。今が稼ぎ時という感じで、レストランも大盛況です。

こちらでは正月だけに食べるという「龍髪糖」を売っていました。

何回も伸ばして細い髪の毛状にした飴の中央に、砕いたピーナツを入れていきます。

見た目は繭にそっくりです。

解くと、白髪みたいです。食べる千歳飴みたいな味がします。

韓国人街では大きなイベントはありませんが、スーパーに正月用の贈り物が並びます。

漢字で謹賀新年(クナシンニョン)とか恭賀新年(コンハシンニョン)と書いてあるので、分かりやすい。

韓国や中国ではこの時期に贈り物をする習慣があるようです。

東アジアで旧正月に何もしないのは日本だけかもしれません。

2009年1月21日水曜日

聖アグネスの日

1月21日は聖アグネスの日です。聖アグネスはキリスト教徒迫害の時代のローマに生まれました。13歳の時、ローマの長官の息子に言い寄られ、固く拒みました。彼女がキリスト教徒であることを知った長官は彼女に死刑を宣告しますが、ローマの法律では処女への刑の執行が許可されなかったため、長官はアグネスをあらかじめ強姦しておくように命じました。アグネスは全裸で ローマの街を引き回され、娼婦の館におくられますが、上の絵のように奇跡が起こり、髪がみるみる伸び全身を覆いました。そして天使が現れて、アグネスを輝く 光と白い布で包み込み、人々の目から隠してくれたのです。その後アグネスは魔女として火あぶりの刑になりますが、炎は彼女の体を焼かず刑吏たちに襲いかかってきました。結局、最後には首をはねられて殉教しました。アグネスはラテン語では小羊の意味で、ギリシア語では純潔の人を意味します。宗教画に子羊を抱いている若い女性が描かれていたら、聖アグネスだと思っていいと思います。

聖アグネスは処女の守護神ですが、19世紀のイギリスの詩人のキーツは、聖アグネスの日の前夜に夕食を食べずに全裸でベッドに横たわっていると、将来の結婚相手が夢の中に現れると書いており、ラファエロ前派の画家たちはこの題材を好んで描いています。

2009年1月20日火曜日

シティーの高層ビル

ポスト・モダン建築の代表作であるロイズ・ビルディング(Lloyd's Building)は、リチャード・ロジャースの設計で1986年に完成しました。

最高地点の高さは60m。6本のサテライト・タワーが中庭を囲むように建っています。

リチャード・ロジャースの建物はパイプやエレベーターが建物の外側にあるのが特徴です。

その斜め向かいにあるのが、ノーマンフォスター設計の通称ガーキン(キューリのピクルス)ことスイス・リ本社ビル(30 St.Mary Axe)です。

2004年に完成した高さ180mの建物で、最上階(40階)には、ロンドンを360度見渡すことのできるバーが設けられていますが、内部にコネが無い一般人は入ることができません。

シティーで一番高い建物は、高さ183mの通称ナット・ウエスト・タワーのTower 42です。1980年に完成した建物は、ナショナル・ウエストミンスター銀行のために建てられました。上空から見ると建物自体が銀行のロゴ・マークの形をしています。現在の所有者は不動産会社のグレイコート社で、数社が入居するオフィス・ビルになっています。

高層ビル街を馬に乗ってパトロール中の警官がいるのも、ロンドンらしいですね。

2009年1月19日月曜日

ロイヤル・エクスチェンジ

シティーの中心にあるギリシア風建物はロイヤル・エクスチェンジです。1567年に証券取引所として設立されました。現在の建物は1844年にウイリアム・タイトによって建てられたものです。20世紀になると証券取引所は別の所に移り、1983年から2001年まで国際金融先物取引所として使われていましたが、現在は高級ショッピング・センターになっています。

ロイヤル・エクスチェンジには高級ブランド店がたくさん入っています。これはグッチ。

シティーには年収何千万円~何億円という人がたくさん働いています。万年筆のモンブラン。

お金はあるけど時間がないエグゼクティブが昼休みに買い物ができるように、ブランド店はシティーに支店を出しています。これはエルメス。

オフィス街の休みにあわせて、ブランド店も週末は休みです。向かいの建物のルイ・ヴィトン。

裏側から見たロイヤル・エクスチェンジ。

トーマス・グレシャムの像。16世紀、ロンドンのギルドの代表としてアントワープに赴き、そこで証券取引所というものを知ったグレシャムは、ロンバート・ストリートの商人たちのために株式取引の場所を作りました。

バッタはトーマス・グレシャムの紋章です。

この建物のオーナーは、紋章が示すとおり、シティー・オブ・ロンドン(区役所)と、

マーサーズ・カンパニー(繊維商のギルド)です。ショップが支払う高額な賃貸料はシティー区役所と繊維商のギルドのものになるわけです。

2009年1月18日日曜日

ギルド・ホール

シティーの政治の中心となっているのがギルドホールです。中世の建物は、1666年の大火と、1940年の空襲で焼失してしまいました。中世風のファサードは1788年に造られたもので、ホールの屋根と天井は第二次世界大戦後ジャイルズ・ギルバート・スコットによって再建されました。

11月の新市長就任パーティーには、首相を含む700人もの人が招待されるのだそうです。

12の主要ギルドの旗が掲げられています。

その他のギルドの紋章は、盾になっています。

ホール入口の上のバルコニーから、シティーの守護神のGogと、

Magogが、見下ろしています。

トラファルガー海戦の英雄のネルソン提督の記念碑や、

ワーテルローの戦いの英雄のウエリントン公の記念碑がありました。

昔はここで裁判も行われていたそうで、

9日間の女王、レディー・ジェーン・グレーもここで死刑判決を受けています。

1766年に首相に選ばれたウイリアム・ピット(父)と、

同じ名前のウイリアム・ピット(子)の記念碑。この人は1783年に、なんと24歳で総理大臣に選ばれています。いくらアメリカの独立戦争の混乱に紛れてとはいえ、ありえない~。しかも、この人がフランスとの間に自由貿易的な通商条約の締結してフランスに安価で良質なイギリス商品が入り込んだから、フランスの国内産業に打撃を与えて革命が起きたらしい・・・。まあ、マリー・アントワネットの浪費くらいじゃ国家予算は傾かないですものね~。

こちらは1762年と1769年の2回ロンドン市長に選ばれたウイリアム・ベックフォードの像。この人は西インド諸島のジャマイカでサトウキビ農園主の家庭に生まれ、教育を受けるため14歳で渡英します。後に政治家になり、ウイリアム・ピット(父)を利用して家業である西インド貿易に有利な政策を取らせたりしました。

この人の息子はもっと面白い人生を送っています。幼時にラテン語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、を学び、5歳の時に9歳のモーツアルトからピアノを習い、建築家のサー・ウイリアム・チェンバースから建築を学ぶという、徹底した英才教育を受けて育ちました。16歳でジュネーブに留学し、法学、哲学、物理学、園芸学を修め、加えてアラビア語、スペイン語、ポルトガル語も習得。ジャマイカのサトウキビ農場からは年に10万ポンドの利益が入って来たので、働く必要はありませんでした。しかし、建築など自分の道楽のために大金を注ぎ込んで父の遺産を使い切り、資産を増やすことはしませんでしたから、亡くなった時には8万ポンドしか残っていなかったそうです。娘がハミルトン公爵に嫁ぎ、その直系の子孫にモナコ国王のレーニエ3世がいます。

その日は行事があるらしく、

シティーの紋章付きの椅子がたくさん並べてありました。

9月のオープンハウスの時には、奥にある部屋も見せてもらいました。

奥には、小ホールや、

ダイニング・ルームもありました。